アルファロメオ博物館で見つけた、残念なミドシップ車3選
レースシーンでの活躍を夢見ていたアルファロメオの試作車たち
筆者が訪ねた2010年6月の段階では、一時的に放置状態となっていた旧ムゼオ・ストーリコ・アルファロメオ。居合わせた博物館スタッフから咎められることもなく入ることのできたバックヤードにて、それまで存在すら知らなかった一台のプロトティーポと遭遇した。
●ジュニアZ 2000ペリスコピオ:1972年
1969年から販売されていた本格的グラントゥリズモ「ジュニアZ」をベースとするミッドシップ試作車。
1973年から正式にスタートした世界ラリー選手権(WRC)へのワークス参戦を見越し、当時のWRCで最上級クラスであるFIA「グループ4」に準拠して、アウトデルタとともに開発されたといわれる「ジュニアZ 2000ペリスコピオ(Junior Z 2000 Periscopio)」である。
この試作車には、ボディ後部のエンジンルームにフレッシュエアを送り込む、潜水艦の潜望鏡を思わせる特異なエアスクープから「ペリスコピオ(潜望鏡を意味する伊語)」というペットネームが授けられていた。
スカラベオと同様、右側にオフセットした横置きに搭載されるエンジンは、同時代のグループ2ツーリングカーレース用マシン「2000GTAm」用の4気筒DOHCである。資料によると排気量は1985ccで、240psをマークすると記されていた。
フロントセクションは、基本的にジュニアZと共通。一方、リアサスペンションを覗いてみると、太いド・ディオン・チューブが横たわっていたことから、半独立式ド・ディオン・アクスルであることは間違いない。おそらくは、同時代の「アルフェッタ」用を流用したと思われる。
開発当初は、ルノー「アルピーヌA110」を仮想ライバルとしていたとのことながら、残念ながら当時世界スポーツカー選手権で手いっぱいだったアウトデルタは、WRCまで進出することは不可能と判断。
プロジェクトは早々にキャンセルされてしまったようだが、もしも当時のグループ4が規定していた400台の生産を終えて実戦配備されていたならば、ワークスA110Gr.4のゴルディーニ製1.8リッターを大幅に上回るパワーを利して、互角のパフォーマンスを見せてくれたかもしれない。
●アルファスッド・スプリント6C:1982年
ペリスコピオと同様、旧ムゼオで一時的に開放されていたバックヤードで発見した一台。
一見したところでは、小型量産車アルファスッドのクーペ版「アルファスッド・スプリント」に、ブリスターフェンダーと極太タイヤを組み合わせたチューニングカーのようにも映る。
このクルマの名は「アルファスッド・スプリント6C」。1982年から施行されたFIA「グループB」レギュレーションに対応するラリーマシン、あるいはサーキット用レースカーのベース車両として開発されたモデルで、現代においてもアルファロメオの至宝として誉れ高い2492ccV型6気筒SOHCのエンジンをミドシップに縦置きで搭載している。
モノコックボディの骨格やストラット式のフロントサスペンションなどは、スッド・スプリントのものを流用する一方で、リアセクションは大幅にスープアップ。
リアサスペンションは専用設計のダブルウィッシュボーンとされたほか、前後フェンダーはワイドなタイヤを収めるためにブリスター化されていた。
グループBの規定に従うためには最小200台の生産が必要だったスプリント6Cだが、ロードカー然としたプロトタイプ第1号と、フロントサスペンションもダブルウィッシュボーン化するとともに、内外装を若干レーシーに仕立てた第二次試作車の2台を製作した段階で、スプリント6Cプロジェクトはキャンセルに終わってしまった。
過給機付きエンジンや4輪駆動のドライブトレインを持たないことから、WRCをはじめとするラリー競技での活躍は見込めなくなっていたことが、その理由とされている。
しかし、そののち同じくスッド・スプリントをより派手に仕立て、ミドシップにアルファロメオV6エンジンを搭載したスペシャルカー「ジョカットロ(Giocattolo=イタリア語でおもちゃのこと)」が、オーストラリアのスペシャリストによって企画。3台の試作車を経て、1986年から12台の生産モデルが製作・販売されたという。
その生産車のうち数台には、豪州ホールデン製5リッターV型8気筒OHVエンジンにコンバートしたものも含まれ、オーストラリアやニュージーランドの国内ラリーなどで活躍したともいわれている。
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