アメリカを代表する高級車ブランド「キャデラック」 なぜその名の由来はフランス人なのか【ブランド考察】
70年代に失墜したイメージも2000年代にグローバルブランドとして復活
日本にも1915年よりヤナセにより輸入が開始され、ほどなく大阪の木津川に日本法人と組立工場が設立された。
当初より皇族や華族、政治家に愛用されたキャデラックは、大戦前に乗用車の輸入が制限されてもアジア圏から接収される形で日本に持ち込まれた。
第二次世界大戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの専用車であったことや、1950年には御料車として導入されたほか、その後も多くのスーパースターが愛車としたり、前述のように映画でアメリカの富の象徴として露出されたことから日本中にその名が知られるようになり、庶民の憧れの存在となった。
こうしてキャデラックは世界中の高級車に大きな影響を与え続け、その名声も絶頂期を迎え、1973年には過去最高の販売台数を記録した。
当時の技術的に特筆すべき話として、FF化が挙げられる。最上級クーペのエルドラードの1967年モデルでFFを採用し、最盛期の1970年には400psを誇る8.2リッターのV8エンジンを全長5.6m超、全幅2m超の車体に積んだほどだ。その後も安全性とパッケージングの効率化を念頭にフルラインFF化を進めた。
ところが、1970年代前半に起こったオイルショックによりアメリカ市場でもダウンサイジングが求められるようになると、キャデラックもそれを余儀なくされる。
以降、過剰な部品共通化や急速なダウンサイジングは、他のGM車との差別化の失敗を招いたほか、コストダウンと未熟な電子部品の採用は品質低化を招き、ブランドイメージは失墜。
日本勢の台頭もあり、顧客の平均年齢の上昇により一時期には「オーナーの年齢は65歳以上死ぬまで」とか「見かけたら逃げるべし(年老いたドライバーにぶつけられるので)」と揶揄されるほどになってしまった。
そうした状況を受けて、キャデラックはブランド再構築を図る。
「アート&サイエンス」と称する現代的なスタイリングの採用により若い世代への訴求を図るとともに、「シグマアーキテクチャ」と呼ぶ新開発のプラットフォームを採用し、ニュルブルクリンクで走りを鍛えた。
ラインナップも整理し、「CTS」を皮切りに「STS」、「DTS」などアルファベットを組み合わせたものに順次変更したほか、高性能版のVモデルを投入した。さらには、ル・マン24時間レースをはじめモータースポーツにも積極的に参戦するなどした。
こうした積極的なマーケティング戦略が功を奏し、キャデラックはアメリカ国内をはじめ多くの主要市場において人気を復活させることができた。とくに近年、高級車需要の伸長が著しい中国ではアメリカを上回るほどの勢いを見せている。
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