ランボルギーニは農機具メーカーだった!? 名車ミウラやカウタックの誕生背景とは
創立者なき状況で誕生した名車「カウンタック クアトロバルボーレ」
フェルッチオが自動車業界から引退し、崖っぷちとも思えたランボルギーニ。しかし、1985年ジュネーブショー、ライバルであるフェラーリのテスタロッサに対抗するように「カウンタック5000QV(クワトロバルボーレ)」が誕生しました。
ボディサイズは全長4140mm×全幅2000mm×全高1070mmと、全長と全高は初代モデルのLP500から変更されることはなかったものの、オーバーフェンダーを装着したため全幅は2mまで拡大、ホイールベースは2500mmと歴代カウンタック・シリーズのなかで、もっとも長くなりました。
複雑に組み込まれたマルチチューブラータイプのフレームに、フロントフード、エンジンリッドをケブラー製、タイヤはフロントが225/50VR15、リアが345/35VR15のピレリP7として車両重量1490kgと発表されています。
搭載エンジンは、先代モデルのLP500SからV型12気筒エンジンを踏襲しつつも、ストロークを75mmに伸ばすことで、ボア×ストロークを85.5×75.0mmとし、排気量を4754ccから5167ccにまでアップさせたパワートレインです。
ツインカムヘッドはクワトロバルボーレの名前のとおり、気筒あたり4バルブに進化、圧縮比9.5とウェーバーキャブレター6基による、一気の80馬力アップの455馬力と、フェラーリ・テスタロッサを75馬力も上回るスペックを叩き出しました。
ピンチはチャンスともいわんばかり、フェラーリというライバルを見事に凌駕したクルマを作ったのです。
なお、ランボルギーニの曲折はこれで終わりません。クワトロバルボーレ発表の2年後の1987年、同社の経営権は仏ミムラン・グループから当時アイアコッカが指揮を執るクライスラーに移ります。
その翌年、最後のカウンタックが発表されます。ランボルギーニ創業25周年を記念した「アニバーサリー」で、1990年にその生涯を終えます。
その後もランボルギーニの曲折は終わらず、1993年にはインドネシアの企業傘下に入りますが、1999年には現在のフォルクスワーゲングループに移りました。
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カウンタック生産終了後は、コンセプトを引き継いだディアブロに後継の座を譲りました。トラクターメーカーから始まり、高級・高性能スーパーカーメーカーに登りつめたランボルギーニですが、決して簡単に急成長を遂げたわけではなかったようです。
しかし、ランボルギーニといえば、誰もが真っ先に「カウンタック」の名を挙げるはずです。その存在感は未だ、健在といえるでしょう。
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