「走る不動産」と呼ばれたフェラーリ「F40」 なぜそこまでの名車になったのか
1987年、フェラーリから創設40周年を記念したモデル「F40」が発表されました。「走る不動産」と呼ばれ、バブルを象徴するスーパーカーとなったF40とはどんなクルマだったのでしょうか。
最高速324km/hは市販車最速、いまなお生きるスーパーカーの金字塔
1980年代後半、日本経済は絶頂期を迎えました。いわゆるバブル経済です。時を同じくして、フェラーリから創設40周年を記念したモデル「F40」が発表されました。
俗に「走る不動産」と呼ばれ、バブルを象徴するスーパーカーとなったF40とはどんなクルマだったのでしょうか。
F40は、1987年9月のジュネーブモーターショーで発表されました。ピニンファリーナのデザイナーであるレオナルド・フィオラバンティ氏の手によるデザインは、それまでのフェラーリとも違う前衛的なものでありながら、明らかにこれまでのフェラーリの延長線のうえに存在するものであり、発表から30年余りが経過したいまでも多くの人々を魅了してやみません。
心臓部には3リッターV型8気筒ツインターボエンジンを搭載し、478馬力ものパワーを生み出します。当時としては最先端の複合素材や構造部接着剤を使用したことで達成した1250kgという車重の恩恵も受けて、その最高速は324km/hにも達しました。
当時、最高速300km/hオーバーとすることがスーパーカーの証とされていましたが、自動車メディアなどによるテストで、実際に公称値を叩き出したクルマは、F40以外にはそう多くありません。
F40は、「そのままレースに出られる市販車をつくる」という、創始者のエンツォ・フェラーリの夢を具現化したモデルでした。
創始者の教えを忠実に反映させた結果、F40は市販車でありながらまさにレーシングカーのような、非常にストイックなモデルとなります。
エアコンこそ用意されていたものの、内装と呼べるようなしつらえはなく、シートもリクライニングのできないバケットシートでした。
極めつけは、ドアノブすら用意されておらず、室内から外に出るときはドアノブ代わりのひもを引っ張らなければならないほど、徹底した軽量化が図られていました。
いまでこそフェラーリをはじめとする多くのスーパーカーでも、電子制御の介入によって普通に走行することができますが、F40の場合はそうはいきません。
ステアリングにもブレーキにもパワーアシストはなく、それに加えてクラッチも非常に重いため、運転するのに相当な技術を要しました。
後述するように、その価格も人を選ぶものでしたが、それ以上に、卓越した運転技術が必要なクルマだったのです。しかし、そうしたじゃじゃ馬っぷりもまた、F40を神格化させた要素のひとつといえるでしょう。
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