ランクルが牽引!? トヨタが世界有数の自動車メーカーになったキッカケとは

ランクルの登場がトヨタを世界的企業に発展させる?

 20系で北米市場の足がかりを確立したトヨタは、1960年にさらなる商品力アップを狙って「40系」を発表します。このモデルには北米向け専用がありました。

他社が海外メーカーと技術提携するなか、トヨタが独力で開発した純国産乗用車(画像はトヨタが初めて米国輸出した車両の1台)
他社が海外メーカーと技術提携するなか、トヨタが独力で開発した純国産乗用車(画像はトヨタが初めて米国輸出した車両の1台)

 例えば、3速コラムシフトやワイドレシオのギア比、ソフトなサスペンションなど、現地のニーズにさまざまな面で応えていました。

 また急速に進む高速化に対応するために、トランスファーに副変速機を採用したのも、このランドクルーザー40系が初でした。

 現在では、ジープのようなヘビーデューティな雰囲気のモデルが好まれていますが、当時は乗用車ライクな雰囲気がユーザーの嗜好であり、このランドクルーザーがその後の小型四輪駆動車の設計思想の一端を確立したといっても過言ではありません。

 この車種はアメリカで「フォーティ」と呼ばれる大ヒット車となり、その後、「50型」や「60系」、「70系」、そして後継モデルへとDNAが受け継がれていきます。

 トヨタは、ランドクルーザーとクラウンのセットで世界中の市場で足がかりを作り、やがて世界のトヨタとしての地位を確立していきます。

 もし、ランドクルーザーというモデルが誕生しなければ、トヨタがここまで世界の市場で成功することはなかったかもしれません。

 ランドクルーザーは現在、世界約150の国と地域に輸出されているモデルで、同社の他車種と比べても圧倒的に広い地域で売られています。

 それは「地球上で最後に残るクルマ」という思想で造られ、厳しいテストを繰り返して実現した品質に裏打ちされているためで、世界の人々から絶対的な信頼性を得ている証拠なのではないでしょうか。ランドクルーザーは日本が誇るべきクルマなのです。

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Writer: 山崎友貴

自動車雑誌編集長を経て、フリーの編集者に転向。登山やクライミングなどアウトドアが専らの趣味で、アウトドア雑誌「フィールダー(笠倉出版社刊)」にて現在も連載中。昨今は車中泊にもハマっており、SUVとアウトドアの楽しさを広く伝えている。

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3件のコメント

  1. 記事の筆者は、どうやら初期のトヨタジープBJ型のB型3.9リッター ガソリンエンジンとその後のBJ40に搭載されたB型3,4リッター ディーゼルエンジンを混同しているようだ。惜しい。

    • コメントに誤りがありましたので訂正します。
      トヨタジープBJ型に搭載されたB型は3389cc、つまり3,4リッターでした。訂正します。
      また、B型3,4リッターと書いたのものは誤りで、B型ではなく後にリリースされた発展型の3Bエンジンが3431cc、つまり3,4リッターです。
      B型は3977cc、つまり3,0リッタエンジンでした。

      先述の誤りを訂正し、お詫び申し上げます。

    • 最終的には4100ccの15B-FTEくらいまで辿り着いたのではないかな?
      排ガス規制で直噴を副室式に戻した12Bだったかな~?
      日野のデュトロも現在のXZU系ではなく初代はBU型式を継承させた一部ですがシャシがありました。
      しかしこのB型ランクル程度ならいいんですがダイナやコースターや日野レンジャー2では今一仕事のできないエンジンでしたね。いすゞでもエルフに似た型式の4B系がありましたがいすゞは4BA1とか4BC2とか最初の4は4気筒の4でしたからね

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