ライダー談義の必須ワードは“ハチハチNSR” これを知っていれば、もうアナタはバイクツウ!!

それはホンダの起死回生の一撃だった!

 そんな彼らが熱狂したマシンであるレーサーレプリカですが、選択の基準は運動性能に直結する絶対的なパワーと軽さでした。1983年にスズキが、従来は鉄だったフレームをアルミで作り量産車世界初のアルミフレーム、RG250ガンマを発売したのを皮切りに、各社が対抗馬を次々にリリースし、毎年のようにモデルチェンジを繰り返して性能を競い合ったのです。

 そして、いまなお伝説的なのが“ハチハチ”=1988年式NSR250R。それまで他社に負けっぱなしだったホンダを、一気に頂点へ高めたモデルでした。

 まずホンダは83年1月に、V型3気筒の2ストロークエンジンで最高出力40PSのMVX250Fを発売しましたが、翌2月に発売されたヤマハRZ250R=43PSや3月デビューのスズキRG250ガンマ(45PS)に押され、セールスは振るいませんでした。84年5月にエンジンをV型2気筒としたNS250Rで追撃を図るも、85年11月にヤマハがTZR250Rを登場させると人気となり、ホンダも86年10月にNSR250Rを出し混戦となっていきます。

初代NSR250R(MC16)

 この初代NSR250R(MC16)からホンダのレーシング部門であるHRCが携わり、市販レーサーRS250と同時開発するという過激ぶりが始まりました。ライバルよりいかに速いか、目標はただ一つだったのかもしれません。

 ちなみに先述した機種はいずれも2ストロークエンジン車で、主戦場は250ccクラス。当時は401cc以上のバイクに乗るための限定解除免許は合格率6%程度と言われるほどの狭き門のなか、現在の普通2輪免許に相当する中型限定2輪免許(中免)を持つ多くのライダーが上限の400ccか、車検のない250ccを選んだのでした。

可変バルブシステムREVを搭載したCBR400Fエンデュランス

 400ccクラスは4ストエンジンが主流でしたが、こちらもレーサーレプリカ全盛期です。1984年3月にスズキがGSX-R400を、5月にヤマハがFZ400R、ホンダがCBR400Fエンデュランスを発売すると、やはり年々ヒートアップしていき、4スト250ccクラスにもヤマハFZR250(86年12月発売)やスズキGSX-R250(87年3月発売)といったレーサーレプリカが登場し、飛び火していきます。もちろん400ccクラスにも2ストモデルはありましたが、その話しはまた今度に。

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