ラジコンレーサーからプロドライバーに!? 突撃営業でチャンス掴む! まるで“ドラマ”みたいな物語とは
さまざまな方法でスーパーGTドライバーになる方法があるなかで、斬新な方法でシートを掴みにいくドライバーが現れました。
プロレーサーになるために必要なコトとは
国内No.1の観客動員数を誇るスーパーGT。
そんなスーパーGTのドライバーになるには相当の努力と才能が必要なのは言うまでもありません。
才能を持っていてもまず自分のシートを確保しなくてはなりません。
さまざまな方法でスーパーGTドライバーになる方法があるなかで、斬新な方法でシートを掴みにいくドライバーが現れました。
ベテランドライバーだと普通免許を取ったのち、地方選の箱車レースやフォーミュラレースで成績を残したことで、トップチームの関係者に目にとまり、「今度うちの車に乗ってみるか」と誘われてレーシングドライバーの世界に駆け上がっていったドライバーが多くいます。
若手ドライバーでは小学生くらいからレーシングカートの世界に身を置き、レースで成績を残し上のクラスやカテゴリーに挑戦していきます。
そのなかで一部の選手はトヨタやホンダが主宰するレーシングスクールを経験し、ドライバーになっていくことが多くあります。
さらに最近ではe-モータースポーツのチャンピオンや好成績を残した選手が実車に移籍しドライバーになる。
というパターンも増えてきました。現役のレーシングドライバーも練習としてe-モータースポーツやシュミレーターを多く取り入れていますので、実車との差が少なくなってきているのでしょう。
モータースポーツを経験したのちスーパーGTのドライバーになっている選手が多い中、なんとラジコンレーサーからスーパーGTというトップカテゴリーに飛び込んできた選手が現れました。
GT300クラスに参戦している61号車スバルBRZ GT300 R&Dスポーツにオーディションドライバーとして参加している奥本隼士氏です。
1999年生まれの奥本氏。幼少期にラジコンに接しそのままどっぷりとラジコンの世界にのめり込み、11歳でタミヤグランプリ世界チャンピオンになります。
中学生になりラジコンのほかに陸上競技をはじめ、高校生と大学生時代には400m走と400mハードル走で全国大会にも出場するほどになりました。
幼少期に慣れ親しんだミニカーやラジコン、テレビで見るレースに憧れるのは誰しも経験したことはあるでしょう。
しかしお金がかかるということと危険な競技だ。ということもあり実際に足を踏み入れる方はそう多くありません。
実際奥本氏も一旦はモータースポーツを諦めていた時期もありましたが、このままやらずに後悔するのはイヤだと一念発起、両親にモータースポーツをやりたいと打ちあけます。
両親の後押しもありレースを始めるにあたり、まずはクルマを買うところから始めました。そんな時に出会ったのがレーシングチームHERO’Sです。
スーパー耐久やVITAレースに参戦し経験や知識があるチームと出会えたことが奥本氏のレース人生の始まりとなりました。
中古車でレース活動を始めたのと同時に、参戦台数が多く盛り上がりをみせているVITAレースで、しっかりとした活動をした方が良いと判断します。
今から3年前、21歳の2021年にVITAレースの練習を始め、鈴鹿サーキットで行われた日本一決定戦に出場し、セミファイナルで優勝するなど才能の片鱗を見せます。
2022年には上のカテゴリーを目指そうとチームHERO’SでFIA-F4の世界に挑戦を開始。
2023年には運が味方しトヨタの育成プログラムであるTGR-DCに入ることができました。
この年はFIA-F4の他にスーパー耐久にKTMSから参戦も叶います。さらにTGR GR86/BRZ Cupにも参戦するなど一気に活動の幅が広がっていきました。
サクセスストーリーのようにも感じれらますが、奥本氏は「他の選手はカート出身などで経験も豊富ですが、自分はカート経験もないので、がんばらないといけない。さらに年齢も他の選手よりも上なので、とにかく結果を残さなければいけないと必死でした」と言います。
残念ながらTGR-DCのプログラムからは1年で外れてしまいましたが「なんとしてもレース活動を行っていきたい、上のカテゴリーで走りたい」という熱い想いが奥本氏を突き動かします。
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