なぜ関西では駐車場を「モータープール」と言うの? 東京では廃れた表現が今も残る背景とは
紆余曲折を経て、なぜ大阪だけで生き残った?
では、なぜ大阪を中心とした一部の地域だけで「モータープール」という言葉が生き残ったのでしょうか。
この点についても諸説ありますが、東京で「モータープール」という言葉が廃れていったのには、進駐軍をイメージする言葉が敬遠される傾向が強かったことと関係しているようです。
それまで「敵国語」であった英語を積極的に使うことがためらわれるのは、多くの人が共感するところです。
そのため、その後モータリゼーションが発達した後も「駐車場」という漢語表現が一般的に用いられるようになったようです。
そのほか、東京では進駐軍による「motor pool」が、占領統治の終了後比較的早い段階で撤去されたことなども、「モータープール」が定着しなかった一因のようです。
一方、ホンダの創業者である本田宗一郎氏が、戦後進駐軍向けのバイク整備で資金を得たように、商才のある人々にとって進駐軍は新たなビジネスチャンスでもありました。
いうまでもなく、大阪は古くから商人の街です。戦後になり、雨後の筍のように大阪の街に登場した「モータープール」ですが、来たるべきマイカー時代を見越した中小企業や個人によるものだったといわれています。
一般的に、外来語は現代的かつ新鮮な印象を与えます。復興に向けて動く大阪の人々にとっては、「モータープール」は「敵国語」ではなく、モダンな印象を与える言葉という側面が強かったのかもしれません。
もちろん、これもあくまでひとつの仮説に過ぎません。ただ、「モータープール」が大阪を中心とする一部の地域で局所的に用いられている背景には、新しいものを柔軟に採り入れることで街を賑わせてきたという、商人の街ならではの精神があることは間違いなさそうです。
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テレビやインターネットの発達によって、全国各地の文化が均一化されつつある昨今では、「モータープール」という表現も存在感を失いつつあるようです。
言葉が移り変わることはいつの時代でもあることですが、いままで慣れ親しんだ言葉が廃れていくのは、どこか心寂しいものです。
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