窓開けは手動でクルクル! 昔のドライブは不便だった!? 懐かしの昭和のドライブ風景とは
ETCがない時代、料金所では大忙し!
●料金所ダッシュ
現代の高速道路と違い、当然ながら昔はETCなどありません。クルマの装備も手巻き式のマニュアルウィンドウやMT車が普通でした。
高速道路入り口で通行券を受け取ると、まず後ろのクルマの迷惑にならないように左手でシフトレバーを1速にして、すぐにクルマを発車させます。
右手で通行券をサンバイザーなどにさして左手でハンドルを保ちながら、空いた右手でマニュアルウィンドウのクランク棒をくるくると回して窓を閉めます。
窓を閉め終える頃にはエンジンの回転数が4000回転を超えてくるので、左手で2速にシフトチェンジ、右手でハンドルを保持します。
隣のレーンのクルマの様子を見ながら、前に入るのか後ろにつくのかお互いのコンタクトで判断します。
隣のクルマの前に入る場合は、おおよそ5000回転を上限にシフト操作をして時速100kmまで速度を上げていくのでした。
これはタバコを吸わない人の場合で、喫煙者の場合にはタバコを口にくわえたり左手で持ったりしながらこれらのことを同時にこなすので、料金所を通過するときは本当に忙しい時間になったものです。
普段はおとなしい運転をする人でも、エンジンの回転数が上がりがちになったのが料金所でした。
なかには、勝手にほかのクルマをライバル視して前に行こうとする人もいたものです。
こんな忙しい風景も、1980年代初め頃から徐々にATやパワーウィンドウが普及し、徐々に見られなくなっていきました。
現在ではETCが普及したために、そもそも料金所で停車することすらなくなってしまったのです。
●坂道や渋滞
山や高原をドライブの目的地にすると、自然と登坂路を通るものです。
上り坂ではエンジンパワーや乗っている人数によっても、クルマごとに出せる速度が違ってきます。
ドライバーは時折バックミラーを見ながら、後ろに速いクルマや地元ナンバーのクルマがつくかどうか注意を払います。
後ろについたクルマの状況によっては、登坂車線に変更したり、見通しが良いところでクルマを左に寄せて、速いクルマや地元ナンバー車を先に行かせるのでした。
もちろん、スポーツドライビングでなくてもシフト操作に神経を集中させます。
当時はタコメーターが付いていないクルマが多数ありましたが、それでもエンジンのノッキングや振動を感じつつシフトダウンをおこないます。
「ヒール&トゥ」は一般的ではありませんでしたが、ダブルクラッチは身に付けている人はよくいたものでした。
まだ週休二日が普及する前でしたから、ドライブの多くは日帰り。そのため夕暮れ以降の高速道路は、必ずといってよいほど渋滞が発生します。
1960年代のクルマは発電機の性能は決して高くありません。停車時にはヘッドライトを消して電気の消費量を抑えるという対策をおこないました。
さらに1980年代頃のクルマになると発電機の性能は高くなっていたのですが、ドライバーの習慣はそのままで、ほとんどの人は停車中にライトを消したものです。
雨のなかでの渋滞となると、状況はさらに悪化します。停車時にはワイパーも止めて、少しでも電気の消費量を抑えます。
現在ほどカーエアコンは普及していなかったので、窓の内側が曇ったらウエスなどで曇りを拭き取ることを繰り返さなければならないのでした。
※ ※ ※
働くお父さんに週休二日制が広まるのは、まだまだ後のことです。そのためドライブというと、春や秋の連休の時期が選ばれましたが、困ったことに、そんな日に限って子供が好きなアニメ映画をテレビで放送したものです。
もちろん、当時はビデオデッキも普及していませんし、ビデオレンタル店もビデオソフトも存在していません。
クルマにテレビチューナーもなければ、スマートフォンもありません。
「アニメ映画が始まるまでには家に帰って!」とお願いしても、帰宅できるのはたいていアニメ映画が終わってからでした。
子供にとっては、祝日に家族でドライブに行くか、アニメーション映画を取るかは人生をかけた決断だったのです。
道路事情も人々を取り巻く状況も1980年代半ばまでは不便でしたが、以後、週休二日制が一般化したり、高速道路網が整備されたり、ビデオデッキやビデオレンタル店が増えて、いろいろと便利になっていきました。
いまから思えばストレスだらけでしたが、しかし、その分だけ人と人とのつながりが濃密だったともいえます。
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