バブル期のクルマはデートの道具だった!? 1990年前後のデートカー事情に迫る

1990年前後に「デートカー」というジャンルのクルマがありました。女性を乗せるために男性が競って買ったデートカーについて、当時の世相とともに振り返ってみます。

バブルで花開いた「デートカー」とは?

 かつて1990年代前後のバブル期に、「デートカー」というジャンルがありました。

 デートカーとは、スポーツカーやSUV、ミニバンなどと正確に定義されたものではなく、当時の男性が女性に乗ってもらうために、競うように購入していたクルマのことをいいます。

デートカーとして人気を博したホンダ「プレリュード」(3代目)
デートカーとして人気を博したホンダ「プレリュード」(3代目)

 当時は女性より男性の人数が少なく、壮絶な“女性争奪戦”が繰り広げられました。また、1986年には男女雇用機会均等法が施行されて女性の大学進学率も上昇。女性の発言力が強くなっていった時期でもあります。

 強くなる女性と相対的に立場が弱くなる男性の関係から、男性は女性の機嫌をうかがうことになりました。

 クルマで送迎する「アッシー君」、食事をおごる「メッシー君」、プレゼントを贈る「ミツグ君」、ビデオデッキなどの接続する「ツナグ君」など、男性は少しでも女性に近づく機会を狙っていたのです。

 なかでもアッシー君とデートカーは近い関係にあります。アッシー君は、夜中までディスコなどで遊んだ女性の送迎係だったのですが、アッシー君から出世するとクルマでデートをしてもらえるというものです。

 そのため男性は、まず女性に乗ってもらえるクルマを選ぶ必要があったのでした。

 では、デートカーとしてどのようなモデルが人気だったのでしょうか。

●ホンダ「プレリュード」

 ホンダ「プレリュード」は初代モデルが1978年に登場。「シビック」と「アコード」の間に位置する2ドアクーペで、当初は女性用のパーソナルクーペとして人気を得ました。

 デートカーとして注目されるのは、1982年にフルモデルチェンジを受けた2代目モデル頃からです。

 このモデルでは、スポーツカーらしいスタイルを得るためにボンネット高さを下げることを目標とし、さらにボンネット高さを下げるためにはフロントサスペンションにダブルウイッシュボーンを採用。

 高性能なダブルウイッシュボーンサスペンションの効果により、コーナーリング性能もアップしました。

 これらの改良でプレリュードはスポーツカーのようなルックスとなり、浮世離れしたイメージが女性の心をつかんだのかもしれません。

 一方、運転席に座る男性にとっては、助手席の右側に装着された「リクライニングレバー」が特色だったようです。

 当初のプレリュードは1.8リッターのSOHCエンジンのみ搭載されていましたが、1985年には2リッターのDOHCエンジンを搭載し、パワーアップを図っています。

 そして、1987年に登場した3代目は、2代目をより深化させたキープコンセプトモデルでした。

 フロントマスクをボディ同色化するとともに、さらにボンネット位置を下げることでスマートさが増したスタイルになったのです。

 エンジンはさらにパワーアップされ、量産車世界初の4輪操舵システムもオプションで設定されました。

 3代目プレリュードはデートカーとしての地位を盤石なものにしましたが、1988年に強力なラバルが出現することになります。

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