究極の「ミウラSV」は、それまでのミウラと何が違うのか?【THE CAR】
元祖スーパーカーであるランボルギーニ「ミウラ」の最終進化型「ミウラP400SV」のなかでも、極めて貴重な初期モデルの個体が日本にあった。ミウラがたどった進化の到着点とは。
フェルッチオが期待した、最終結果が「ミウラ」だった
「クンタッチ」が現在に至るランボルギーニのブランドイメージを作り上げた世紀のスーパーカーであったことは論をまたない。そのことは、「アヴェンタドール」を見れば一目瞭然で、いまだに多くの一般人はアヴェンタドールや「ムルシエラゴ」を見て「あ、カウンタックだ」と叫ぶ。ランボルギーニ=カウンタックであるという一般的な常識を思い出すにつき、クンタッチのレゾンデートルは偉大を超えているとしかいいようがない。
それでも尚、いや、だからこそいま、ミウラの存在価値もまた、クンタッチの偉大さに輪をかけて大きくなった。それは、ランボルギーニというブランドが、その黎明期において志した方向性の幻というべき到達点であり、ある意味、創始者フェルッチオが期待した、唯一の最終結果であったからだ。
そのことは、ガンディーニによる「ミウラ」のフォルムを、真横から見てみると、よく分かる。そのシルエットは、いわゆるロングノーズ・ショートキャビンというやつで、FRの2シータースポーツカーそのものだ。その路線は、スポーツカー界のロールスロイスを目指したフェルッチオの想いに、ぎりぎり則したものであったに違いない。
1965年のトリノショーにおいて発表されたミドシップベアシャシの習作。これをピュアスポーツカーではない何か、としてフェルッチオの許可のもと実現させるには、何としてもエレガントな、どちらかといえばスティーレ・クラシカなスタイリングにしなければならなかった。ミウラは、1950年代後半のイタリアンビューティの延長線上に造られたのだった。
「P400」、そして「P400S」までは、完全なエレガントスタイルをもつ古典的GTカーの幻影を留めていた。内側に収まったタイヤと、薄くしなやかなライン構成、エレガントさを主張するヘッドライトまわりのディテール処理、控えめなノーズやリアランプを見れば、ミウラがまだ、FR系の「400GT」などと血のつながったモデルであることがよくわかる。ガンディーニがよくいうように、それは革新的ではないが美しいクラシックスタイルだった。
ところが最後のモデル、「スピント・ヴェローチェ=SV」ともなると、様相は一転する。もはや強力なエンジンをキャビン後方に積むミドシップカーであることを隠そうともせず、しかも、その出で立ちはいっそうワイルドに、そして、フォルムコンシャスとなった。
ヘッドライトまわりからは、フォルムの連続線を打ち消すマツゲが取り攫(さら)われ、ノーズはより長く、そして前後のコンビネーションランプは機能性をより強調したデザインに変えられている。よく知られているように、リアコンビランプはフィアット用である。
SVが生まれた理由を理解するには、ミウラが生まれながらに持っていたミッドシップカーとしての不合理と、当時の時代背景、そしてフェルッチオ自身の立場、といった様々な状況を俯瞰的に知っておく必要があるだろう。
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