売れなくなった車 離れたのはユーザーか、メーカーか 車史で振り返る平成

都市部を中心にクルマは所有からシェアへ

 その代表はカーシェアリングでしょう。日本で目立って増え始めたのは平成22年(2010年)頃です。時間貸し駐車場のタイムズ24がカーシェアリング事業に乗り出すなど、本格参入が続きました。クルマが魅力を下げた結果、ユーザーの所有欲も薄れ、その一方では携帯電話の普及が進みます。平成19年(2007年)にはAppleによる最初のiPhoneが発売され、平成21年(2009年)にはドコモもスマートフォンの取り扱いを開始しました。

所有からシェアという若者などを中心に利用者拡大中のカーシェアリング

 若い人達を中心にスマートフォン関連の出費が増え、同時に定額性でアイテムを使う生活スタイルも根付いてきました。カーシェアリングは、携帯電話やスマートフォンが生み出す新しい価値観に合っており、所有欲の下がったクルマを合理的に利用する方法として注目されています。

 とくに都市部では、月極め駐車場の使用料金が1か月に3万円以上の地域も多いです。スマートフォンの出費も加われば、クルマの所有は経済的に難しいでしょう。短時間でも手軽に使えるカーシェアリングが便利です。

 ただし見知らぬ人達と一緒に使うカーシェアリングの車両には、自分のクルマのような愛情を持ちにくいです。ボディを磨いたり用品を装着することもありません。カーシェアリングは公共の交通機関に近く、点検などを含めた各種サービスの需要も減ります。

 クルマが電動で自動的に動く未来を想定すれば、環境負荷が少なく、合理的に使えるカーシェアリングが適していますが、現時点では「愛車」の所有形態も大切です。「日本車の日本離れ」が、ユーザーの意識とビジネスをカーシェアリングに向かわせたこともあるでしょう。

 平成の時代には、クルマの新しい楽しみ方も生まれました。車中泊に代表される、クルマをツールとして活用する発想です。昭和の楽しみ方は、運転したり外観を眺めることでしたが、平成にはクルマの普及を受けて「いかに楽しく活用するか」が焦点になりました。

 行政がクルマのツール化を推進した面もあります。たとえば景気対策として、一定条件の範囲内で高速道路の通行料金を上限1000円にしたことです。平成21年(2009年)からしばらく続けられました。

 車中泊に高速道路の上限1000円を組み合わせれば、あまりお金をかけずにクルマを楽しめます。昭和の時代には、いろいろな趣味を犠牲にしてクルマを楽しむのが当たり前でしたが、平成に入ると気軽になって年齢層も広がりました。

 そして平成を振り返ってもうひとつ大切なことは、安全性と環境性能の関心が高まったことです。交通事故の死者数は、平成2年(1990年)には1万1227人でしたが、平成30年(2018年)は3532人に減っています。

平成に誕生したハイブリッド車トヨタ「プリウス」。現行モデルは4代目となり、燃費性能も大幅に向上

 燃費性能も大幅に向上しました。平成9年(1997年)に世界初の量産ハイブリッド車としてトヨタプリウスが発売され、今では4代目になります。平成30年(2018年/暦年)には、小型/普通乗用車の内、ハイブリッド車が約40%を占めています。

 平成の日本車が、日本を離れてしまったことは寂しい事実ですが、安全性の向上と環境負荷の低減は、平成のクルマが生み出した大きな功績でしょう。

【了】

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Writer: 渡辺陽一郎

1961年生まれ。自動車月刊誌の編集長を約10年務めた後、2001年にフリーランスのカーライフ・ジャーナリストに転向。「読者の皆さまに怪我を負わせない、損をさせないこと」が最も重要なテーマと考え、クルマを使う人達の視点から、問題提起のある執筆を得意とする。

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1件のコメント

  1. 私は父は平成8年1996年5月に生産、販売を始めたファミリームーバー初代ホンダステップワゴンに13年間乗っていました。 私は運転していませんが、父の運転するステップワゴンに乗っていました。 私は初代の形を復刻してくれないかと思っています。
    私はコラムシフトでCDナビゲーションとカーラジカセが分かれているところが大好きです そして、サンルートがあったのも良かったです
    本田技研工業(株)は平成8年1996年5月10月、金曜日から生産販売を始めてからなお 現在も生産、販売をしています。

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