“伊豆諸島”なのに「品川ナンバー」!? 都心から約287km離れた「有人島」も“大都会と同じプレート”! 9つの島すべてが「品川」になる意外な理由とは?
伊豆大島や八丈島など伊豆諸島のクルマには、都心と同じ「品川」の地域名が付きます。島々が品川区にある東京運輸支局の管轄区域に入っているためですが、なぜ南の島々が東京の管轄となったのでしょうか?
大島から青ヶ島まで“9つの有人島”はすべて品川ナンバー
東京都心から南へ約120kmの海上にある伊豆大島、そして都心から約287km離れた八丈島。太平洋に連なるこれらの島々で使われているクルマのナンバープレートには、じつは都心のクルマと同じ「品川」の地域名が表示されています。
大島町や八丈町など伊豆諸島の8町村が、品川区東大井にある東京運輸支局の本庁舎が受け持つ、自動車登録の管轄区域に含まれているためです。大島から青ヶ島まで、伊豆諸島の9つの有人島はすべてこの区域に入ります。
ナンバープレートの地域名は、そのクルマの“使用の本拠の位置”を管轄する運輸支局や自動車検査登録事務所の名称などを表示するものです。使用の本拠の位置とは、個人なら実際に住んでいるところ、法人なら事業所など活動の実態があるところを指します。
東京運輸支局の本庁舎が登録を担当するのは、千代田区、中央区、港区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区の8区と、大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ヶ島村、小笠原村の島しょ部です。
伊豆諸島の有人島は大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島の9つで、式根島は新島村に属しています。島々には運輸支局などが置かれていないことから、品川ナンバーが使われています。
軽自動車の手続きを受け持つのは、港区港南にある軽自動車検査協会の東京主管事務所です。こちらの管轄区域でも、伊豆諸島の8町村と小笠原村は品川ナンバーの区域とされています。
一方、同じ東京運輸支局の本庁舎の管轄区域でも、世田谷区では2014年11月に世田谷ナンバーが導入されました。事務所の新設の有無にかかわらず新たな地域名表示を認める、いわゆる“ご当地ナンバー”の制度によるものです。
世田谷ナンバーの導入後、世田谷区に使用の本拠の位置を置くクルマが新たに登録されると世田谷ナンバーとなり、品川ナンバーは選べません。ただし、引っ越しなどの手続きが発生しなければ、それまでの品川ナンバーはそのまま使えます。
では、なぜ伊豆諸島は東京の管轄なのでしょうか。
江戸時代、伊豆諸島は幕府の直轄領(天領)でした。明治維新後は韮山県、足柄県、静岡県と管轄が目まぐるしく変わり、1878年1月に、当時「伊豆七島」と呼ばれた島々が静岡県から東京府へ移管されました。実際の事務の引き継ぎは同年2月です。
移管に際しては、静岡県から七島関係の書類310冊余りが東京府へ引き渡されました。事務引き継ぎの日付で東京府知事が静岡県令にあてた受取書には、八丈島ほか6島の土地と人民、諸帳簿を受け取った旨が記されています。
移管の理由について、当時の内務卿・大久保利通は上申書のなかで、七島の裁判事務が東京裁判所に帰属したことを挙げ、行政事務の円滑な遂行や交通の利便性の面でも、静岡県と島民の双方にメリットがあると述べています。

また江戸時代には、島の物産を流通させる島方会所が置かれ、江戸と島々は深く結びついていました。1871年に会所が廃止されてから物産の販売などで生じていた支障を解消するため、府県区画の再編をきっかけに東京府への移管が進められました。
なお、小笠原諸島は1880年に東京府へ編入されました。小笠原村も東京運輸支局の本庁舎の管轄区域に含まれており、伊豆諸島と同じく品川ナンバーの区域です。
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大島から青ヶ島まで、伊豆諸島の有人島で使われるクルマは品川ナンバーの区域にあります。1878年に静岡県から東京府へ移管された島々は、いまも東京運輸支局の本庁舎と軽自動車検査協会の東京主管事務所の管轄区域に含まれ、地域名表示は都心と同じ「品川」です。
Writer: 佐藤 亨
自動車・交通分野を専門とするフリーライター。自動車系Webメディア編集部での長年の経験と豊富な知識を生かし、幅広いテーマをわかりやすく記事化する。趣味は全国各地のグルメ巡りと、猫を愛でること。













