最大の問題は社歌? SUBARU、社名変更記念式典で吉永社長はなにを語ったか

社名変更は「戦略的でもなければ記念行事でもない」

――社名変更のねらいについて、記念的な部分と戦略的な部分のふたつがあると思いますが、いかがでしょうか?

 戦略的な部分はほとんどないです。記念的なという意味ですと、1917年に飛行機研究所を中島知久平さんがつくって、その1年後に中島飛行機に変わり、ちょうど今年、創業100周年になるのですが、ただこれは100周年記念行事ではありません。あくまでも、これまで続けてきたブランドの価値を高める活動を、これからも強めて、頑張ってやっていきますという決意表明なのです。100年というのは区切りがいいので、それにあわせているということはありますが、100周年記念行事の一環で変えるということではまったくありません。

――海外を含め、ブランド名と社名の統合というのはどのような意味をもたらすのでしょうか?

 ここ数年、「SUBARU」というブランドの価値を磨くということでやってきましたが、具体的にどういう価値をお客様にお届けしているのか。たとえば「フォレスター」を通して、私たちはなにをお客様に提供できているのか。それだけをこの数年間、ずっと訴求してきました。それがたとえば安全であれば、具体的には「アイサイト」になるわけですが、やがてお客様に「ああ確かにスバルって安全だよね」とか「安心だよね」と思われるようになってきました。日本はもちろん、アメリカでも「スバル、イコール、安全安心」というイメージが高まってきており、そのことによって、価格競争から離れられているわけです。この数年の、価値を訴求する活動に切り替えてきたことが、現在の大きな成果につながっていると思いますし、これからますますそれを強めていきたい。そういう意味でブランドの価値を高めていく、あるいはブランドの価値で生きていく会社になりますという、決意を表明したということです。

――日本やアメリカではブランドが浸透してきて、海外のほかの地域、たとえば東南アジアなどへの展開強化という意味合いもあるんでしょうか?

 私どもの場合、海外のほうからみると、あくまでも最初から「SUBARU」なのですね。ある意味寂しいですが、「Fuji Heavy Industries」のほうが浸透していないのです。極端に言えば、「社名を変えました」というと「元からSUBARUじゃなかったの?」といった具合です。ですから社名を変えることが、海外事業に直結しているということはないと思っていただいていいと思います。一部あるとすれば、飛行機において「Fuji Heavy Industries」で多少は知られていたと思います。ただこれも最近は、アメリカのボーイングなどでもやはりあくまで「SUBARU」と思われていますので、おそらく実態はもう「SUBARUのエアロスペース」みたいになっていたものですから、それに合わせたと思っていただいたほうがいいと思います。

――モノをただつくるのではなくて、価値の提供とおっしゃっていましたが、今後、どういう風に変化が求められるとか、なにを作っていかなきゃいけないのか、どのようにお考えですか?

 私どもはここ数年、「安心と楽しさ」というところに集中し、それを具体的に、たとえば「アイサイト」などを訴求させていただき、それが成長につながってきています。当面はこの「『安心と楽しさ』という価値をお客様にお届けするブランドです」というのを、さらに強めていくことが一番だと思います。やはり企業それぞれのDNAといいますか、私どもは飛行機会社である、ということがもたらしている特長をクローズアップして紹介していきたい。というのも、自動車会社としてのSUBARUは規模が大きくないので、物量が勝敗を決する戦いは基本的にできないと思うのです。そうするとやはりこれから先も、お客様に認めていただける「付加価値」を維持強化できるかが勝負です。ご存知の通り、世界の大手自動車会社さんは、皆さん年間1000万台くらい作っていて、当社はすごく伸びたといっても100万台ですから、その100万台の企業がどうやって生き残っていくかを考えると、「付加価値」を追求していくということしかないと思うのです。

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