バブルは日本が輝いていた! セルシオ&R32が誕生した「1989年」が凄すぎた伝説とは
平成が始まった1989年は、ソニーがコロンビア映画、三菱地所がロックフェラー・センターを買収するなど日本はバブル真っ最中でした。一方で国産自動車メーカーにとってもミラクルイヤーといえるほどの名車がいくつも誕生したのです。
自動車界のミラクルイヤー…幕開けは世界でいちばん熱い夏?
昭和が終わり、平成が始まった1989年は、自動車業界にとっても節目の年となりました。
「安くて良いクルマづくり」で販売台数世界一になった日本が「世界が憧れるクルマづくり」へと大きく舵を切ったのです。
そんな1989年に登場したクルマのなかでもいまでも強烈な存在感を示す3台を紹介します。
1989年はマネーの年でもありました。リクルート事件で大騒ぎとなり、川崎市の竹やぶで1億円の札束が見つかり、ソニーがアメリカのコロンビア映画を買収したバブルの絶頂期です。
そのような時代に、トヨタが世に送り出した高級車が「セルシオ(海外ではレクサス「LS」)」でした。
キャッチコピーは「この車から、クルマが変わります」で、横に添えられたのは「世界の高級車として すべての基準を超えるために 450台の試作車 1400人のエンジニア…」という文言でした。
同じトヨタの「センチュリー」や「クラウン」とは違う世界基準のクルマをつくるため、エンジンやミッションなどを徹底的に磨き上げ「静粛性」という武器で世界を驚かせたのです。
象徴となった4リッターV型8気筒エンジンは恐ろしくスムーズで「エンジンの上でコインが立つ」という伝説も残したほどです。
この「静粛性」に加え、最高速度250キロでの安定走行と低燃費を両立したことから、アメリカでは欧州の高級車を下取りに出し、レクサスに乗り換える富裕層が続出したといいます。
2台目のクルマは、日産「スカイライン GT-R(BNR32型)」(以下、R32)です。
当時は、スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」が公開され、横浜ベイブリッジが開通し、プリンセス・プリンセスの「世界でいちばん熱い夏」が大ヒットした32年前の夏にR32が衝撃のデビューを飾りました。
スパルタンなエクステリアデザインは、グレーメタリックのボディカラーと相まって、非の打ち所がないカッコよさでした。
「新しい神話が、このクルマからはじまる」というキャッチコピーそのままに、当時の自主規制上限となる280馬力を誇る2.6リッター直列6気筒ツインターボエンジンを搭載。
R32のポテンシャルを引き出した「ATTESA E-TS(電子制御四輪駆動システム)」と「SUPER HICAS(4輪操舵システム)を採用し、「技術の日産」としてスカイラインGT-Rを復活させたのです。
その伝説は、国内外のレースシーンで現実となり、圧倒的な強さを誇ったことで「新しいGT-R神話」をつくりあげました。
これまで、「安い、壊れない、燃費が良い」で勝負してきた日本車が「速い、強い、かっこいい」で世界を制したロングセラーとなり、その後R33、R34、そして現在も販売されるR35へとGT-RのDNAは引き継がれています。
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