1500馬力を馬の図案で表現! エルメスとブガッティが本気で作った究極の「シロン」とは
ブガッティとエルメスがコラボした「シロン・アビール・ペル・エルメス」。この至高の1台が生まれた陰には、オーナーの並々ならぬブガッティ愛があった。
ブガッティのオートクチュールの世界へようこそ
ブガッティのエンスージアストにとって、その歴史のなかでもっとも崇拝すべき1台ともいえるのは、1934年から1940年までの間に、710台も生産されたT57(タイプ57)ではないだろうか。
エットーレ・ブガッティの長男であるジャン・ブガッティによってデザインされたタイプ57には、美しいボディが4タイプあった。2ドア4シーターの「ヴァントー」、カブリオレの「ステルヴィオ」、クーペの「アトランテ」、そして4ドア4シーターの「ギャビリエーレ」である。エンジンはいずれも3.2リッター直列8気筒DOHC。最高速は当時すでに153km/hに達していた。
だがこのタイプ57がさらに大きな魅力としていたのは、スタンダードモデルをベースに、さらにカスタマーのリクエストによる強化型のエンジンや独自のボディを組み合わせる、いわゆるオートクチュールの世界がその先に用意されていたことだった。
カスタマーのリクエストに応えたタイプ57の魅力的なスペシャルモデルが、次々と生み出されることとなった。もっとも有名なところでは、3台のみが製作された「クーペ・アトランティーク」であろう。
このクーペ・アトランティークのような特別なブガッティを追い求め、現代のエンスージアスト──しかもその頂点に位置する人物たちは、ブガッティの本社があるモルスハイムのアトリエを訪れるのだ。
「私は真のブガッティのエンスージアストです。息子が生まれた時には、エットーレという名前を与えたかったのですが、それには妻は同意してくれませんでした」
そう語るのは、ここで紹介する特別なブガッティ・シロンである「Chiron habille par Hermes(シロン・アビール・ペル・エルメス)」をオーダーしたアメリカ在住の事業家であり、また不動産投資家のマニー・コシュビン氏である。
ブガッティとエルメスとによるコラボレーションいえば、2008年にも「fbg par Hermes」などが、当時のヴェイロンをベースに製作されているが、コシュビン氏もまた、このふたつのフランスを代表する高級ブランドの関係を復活させることに大きな興味を抱いたのだ。
ちなみに、「fbg」はフォーブル・サン・トノレ通りの略。1879年にエモール・モーリス・エルメスが、その通りの24番地に工房を移転し、現在もエルメス本社が置かれている。
話をコシュビン氏に戻そう。2015年にシロンが発表されると、氏はビルドスロットを予約した世界で最初のカスタマーのひとりとなり、おそらくはもっとも早くシロンのデリバリーを受けた人物となったが、ここから彼の夢は始まることになる。
それは、かつてのT57のように、ブガッティがもっとも強みとするところであるひとりのオーナーだけの特別なカスタマイズやサービスの限界に挑戦することにほかならなかった。この挑戦は、ほかのブガッティオーナーや、あるいはほかのブランドをどれだけ刺激することができるのかということでもあった。
コシュビン氏は、そのクリエイティブプロセスを通じて、何年間にもわたって積極的に協力したあと、自分のアイデアによるシロン・アビール・ペル・エルメス案を提供することになった。
その複雑で特別な配色や生地などは、そもそも際立った存在であるシロンをさらに特別なものにし、同時にブガッティに不可能なことはないことを示す典型的な例でもあった。
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