ライバルは「ミウラ」! フェラーリ「デイトナ」のオープンモデルは3億円!?

新興勢力だったランボルギーニから「ミウラ」が誕生し、それに負けじとフェラーリが放った1台が「365GTB4」、通称「デイトナ」だった。そのオープンモデルの価値とは。

フェラーリ不遇の時代に誕生した「デイトナ」

 現在のフェラーリの経営状況を見る限り、フェラーリの歴史は常に順風満帆なものであったようにも思えるが、実は彼らにも不遇の時代があった。

 それは一般的に想像される1970年代の石油危機を理由としたものではない。それよりさらに前の1960年代後半、フェラーリは自身の技術革新の遅れと労使関係の悪化により、経営面で非常に深刻な事態にあったのだ。

●1971 フェラーリ「365GTS/4デイトナ・スパイダー」

正規の「デイトナ・スパイダー」の生産台数は121台とアナウンスされている(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's
正規の「デイトナ・スパイダー」の生産台数は121台とアナウンスされている(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's

 こうした状況は、半ばフェラーリの本業ともいえたレース活動においても同様であった。当時のフェラーリは、レーシングカーの設計においても、伝統を重んじるあまり積極的な技術革新を続けてきたライバルに対してのアドバンテージを失いつつあり、それは徐々にロードカーに対する評価にも波及していった。

 決定的だったのは1964年に誕生した「275GTB」を追って、その2年後に登場したランボルギーニ「ミウラ」の存在だろう。

 ロードカーにミッドシップという基本設計を持ち込んだミウラに対してフェラーリが対抗できたことは、搭載されるV型12気筒エンジンを4カム化する程度のことだった。しかしそれも、わずか2年の運命だった。

 結果的にフェラーリは、「275GTB/4」の後継車を開発することを決定する。その後継車こそが「365GTB4」であった。

 ピニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティをチーフとするチームが描き出した365GTB4のボディデザインは、それまでの275シリーズとは異なり、はるかに鋭利なフロントノーズを持つスポーティで優秀なエアロダイナミクスを期待させるものだった。

 1968年10月に開催されたパリ・サロンでワールド・プレミアされた365GTB4は、その後さまざまなモーターショーやサーキット・イベントでプロモーションのために使用され、フェラーリには数多くのオーダーが寄せられることになる。

【画像】121台しか生産されなかった「デイトナ・スパイダー」を見る(24枚)

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