スーパーカー新時代を築いたマクラーレン「F1」とブガッティ「EB110」は、ハイパーカーの予言だった

少量生産または誰もが運転できるなど、スーパーカーは多彩なビジネスモデルを構築していった

 マクラーレンF1の存在を見て、あるいはその車両価格である100万ドル(約1億円)というプライスに刺激されたわけではないのだろうが、ここからさまざまな新しいスーパーカー・プロジェクトがライバルメーカーで立ち上がっていく。

 開発のスタート時期がほぼ同じならば、発表のタイミングもさほど大きく前後することはない。それが集中したのは2003年という年だった。

ケン・オクヤマ(奥山清行)氏が、ピニンファリーナ時代にデザインしたことでも有名になったエンツォ フェラーリ
ケン・オクヤマ(奥山清行)氏が、ピニンファリーナ時代にデザインしたことでも有名になったエンツォ フェラーリ

 2003年、それは1990年代から現在にまで続く、第三次スーパーカー・ブームがひとつの起点を迎えた年と評してもよいだろう。

 フェラーリはその前年、2002年に創業者の名を掲げた「エンツォ・フェラーリ」を399台の限定車として発表。

 フェラーリの限定車戦略は、その後もワンオフモデル以外に「ラ フェラーリ」や、新たにイーコナ・シリーズとネーミングされた、さらに生産台数の少ないモデル(ファーストモデルは500台未満の「モンツァSP1&SP2」)へとつながっていく。

 魅力的な製品を少量生産する手法は、今後プレミアム・ブランドがそのバリューを保つうえで重要な戦略となった。

 ランボルギーニにとって久々のスモールモデル、V10エンジンを搭載した「ガヤルド」や、ポルシェのスーパーモデル「カレラGT」がともにデビューを飾ったのも、2003年のジュネーブ・ショーだった。

 ランボルギーニはその先、12気筒モデルを「アヴェンタドール」に、10気筒モデルを「ウラカン」にフルモデルチェンジしたほか、「SUV」のウルスをラインナップに加えて万全の体制を確立した。

 ポルシェも伝統の「911」を着実に進化させたほか、カレラGTの後継車として「918スパイダー」を生み出している。

 かつてとは比較にならないほどの速さで、続々と市場へと投じられてくるスーパーカーは、普段乗りできる気軽さが受け入れられ、販売台数も右肩上がりとなる。

 そうなると、さらにそれを超越する存在として、ハイパーカーと呼ばれるジャンルまで確立されるに至った。より速く、より美しく、そしてより生産台数が限られた高価なハイパーカー。

 ハイパーカーはいま、世界のハイパーリッチにとって見逃せない、何よりも魅力的な趣味の対象となった。

【写真】究極のスーパーカーたちをじっくりと見比べる!(48枚)

【2023年最新】自動車保険満足度ランキングを見る

画像ギャラリー

1 2

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る!

最新記事

コメント

本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー