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クラシックカーを「プリザベーション」で愛でる
ペブルビーチ・コンクール・デレガンスに正式出品されるクラシックカーは、眩いばかりにフルレストアされたクルマばかりではない。
むしろ近年では、新車としてデリバリーされて以来レストアを受けることなく現在まで維持されてきた、いわゆる「プリザベーション」車両にも特設クラスが設けられ、それぞれの歴史をしのぶ素晴らしいクラシックカーが並ぶことになった。
●アストンマーティンDB5ヴァンテージ(1965年)
2019年のペブルビーチにおいて、第二次大戦後の生産車両を対象とする「クラスL2:戦後プリザベーション」にて第1位を獲得したのは、まさしく奇跡と言いたくなるようなアストンマーティン「DB5ヴァンテージ」だった。
アストンマーティン「DB5」は、「DB4シリーズ5」の後継車として1963年夏にデビュー。1965年秋に「DB6」に跡目を譲るまで、1000台あまりが生産されたといわれる、1960年代アストンの傑作である。
そして、スタンダードのSU製キャブレターからウェーバー社製キャブレターに換装することで325psのパワーを得た高性能版DB5ヴァンテージは、わずか68台(65台説もあり)が生産されたに過ぎない。
この時のクラスL1出品車両は、さらに17台のみに限定されるという左ハンドル仕様のDB5ヴァンテージであった。1965年に新車としてアメリカ合衆国にデリバリーされて以来、ずっと同じ家族の間で維持されてきたとのことである。
2019年までの54年間に刻まれた走行距離は、約7万2000マイル(約11万5000km)。ボディペイントに細かいリタッチを施しただけで、内外装ともオリジナルと謳われていた。
たしかに、間近まで近寄ってみればアルミ製ボディの色つやは今ひとつ。細かいスクラッチ傷などもあちこちに散見された。また本革レザーの内装もそれなりにくたびれてはいたのだが、それでも半世紀以上の時を経た個体としては、まさしく奇跡のコンディション。歴史とストーリーを感じさせる、クラスウィンも納得の一台であった。
●ブガッティT59GP(1933年)
2019年のペブルビーチ・コンクールにて、筆者を個人的に最もエキサイトさせてくれたトピックのひとつは、現代のF1GPに相当するグランプリ・レースのために、ブガッティが1933年に4台のみ製作した「T59GP」であった。その全4台が一堂に集結したのである。
ブガッティT59GPは、1924年の初登場以来、グランプリ・レースとスポーツカーレースで大活躍したT35シリーズ、そしてその改良型として初めてDOHCエンジンを搭載したT51GPに代わる、グランプリ専用のシングルシーターマシンである。
この時代のグランプリは、「車両重量750kg以下」というレギュレーションで戦われていた。こうした時代にT59GPは、当時最強のGPマシンとして君臨していたアルファロメオ「ティーポB」打倒を目指して開発された歴史を持つ。
しかし、もともとツーリングカー/スーパースポーツカーとして開発された「T57」シリーズベースの3.3リッター直列8気筒DOHCエンジンでは、純粋なレーシングカーとして徹底的に造り込まれたティーポBに、パワーとパフォーマンスの面で一歩及ばなかった。
しかも翌1934年シーズンからAIACRグランプリに参入してきたドイツ勢(メルセデス・ベンツ&アウトウニオン)には、アルファロメオともどもまるで歯が立たなかったという、悲劇的なマシンなのだ。
しかし、生来のアーティストでもあったエットレ・ブガッティが、性能面に目を瞑ってでも徹底してこだわった芸術性がT59GPには散見される。
たとえば軽合金ディスクにワイヤーを組み合わせた美しいホイールなど、エクステリアからメカニズムに至るまで、随所にその芸術的な美しさが発露していることから、今なおカリスマ的な存在となっているのだ。
ちなみにこの日の表彰ステージで4台が勢ぞろいしたなか、最前列に置かれた1台は、超一流のクラシックカー・コレクターとしても知られるファッションデザイナー、ラルフ・ローレン氏のコレクションのクルマであった。
当時、周りをシートで囲い、そこに
2台のスーパーカーを停めて
ドライバーシートで写真、一枚
1000円の料金でした。