今なお成長を続けるトヨタが国際的な自動車メーカーになるまで

2019年9月の中間決算において、トヨタは純利益と売上高で増益、中間決算として過去最高の成績を残しました。この理由としては、新車販売が好調であることが大きいでしょう。2019年4月から9月の普通車における新車販売台数ランキングでは、トップ10のうち7車種がトヨタ車でした。そんな、いまなお成長し続ける自動車メーカー、日本が世界に誇る「トヨタ」について、掘り下げます。

トヨタが世界トップクラスの自動車メーカーと呼ばれるまで

 日本を代表する自動車製造メーカーであるトヨタ自動車の、2020年3月期のグループ売上は29兆5000億円、本業の利益を示す営業利益は2兆4000億円を見込んでいます。

1936年に少量生産をスタートした「AA型乗用車」
1936年に少量生産をスタートした「AA型乗用車」

 そんなトヨタは東日本大震災に見舞われた2011年には、生産台数で独フォルクスワーゲン(VW)グループ、米ゼネラルモーターズ(GM)に抜かれ、世界3位となりましたが、2012年には再びトップに返り咲きます。

 しかし2009年に社長に就任した豊田章男氏は、2008年のリーマンショックやトヨタ車の米国リコール問題などを受け、2011年に「無闇に数を追わず、経営の質を高める」との戦略を打ち出し、意思決定迅速化のために大幅に取締役を削減。

 海外法人にいくつかの権限を委譲するなどの企業努力をおこない、販売台数・生産規模だけを追う戦略をあらためました。

 これは、かつてCEOとして日産を率い、ルノー・日産&三菱自アライアンスとして、常に世界最大規模の販売を目指していたカルロス・ゴーン氏とは正反対の方針ですが、それでもトヨタの世界販売台数はおよそ1000万台/年という規模で推移しています。

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 トヨタの基礎は、豊田佐吉氏が創業した豊田自動織機製作所です。

 その社内の一部署として自動車部が創設され、1937年に独立。それが現在のトヨタ自動車ルーツです。自動車部は佐吉氏の命をうけた長兄 豊田喜一郎氏の担当業務でした。

 トヨタ自動車創業社長には佐吉氏の娘婿である豊田利三郎氏が就任。じつは喜一郎氏は2代目社長となりますが、実質的な創業者でもあります。

 豊田自動織機製作所 自動車部の名称は、社名である「豊田」の読みが「トヨダ」であったため英語ロゴは「TOYODA」を使用していましたが、1936年に新ブランドマークが公募され、約2万7000点の応募作品から選ばれたのは「トヨタ」で、1937年の自動車部独立後以降、トヨタ自動車工業株式会社「トヨタ/TOYOTA」となりました。

 また、トヨタ本社が置かれる豊田市は、奈良時代から1300余年にわたり三河国加茂郡に属する「挙母(ころも)」と呼ばれた地域でしたが、1959年に市議会が「豊田市」に改称を決定。

 トヨタ本社所在地は、「愛知県豊田市トヨタ町1番地」となり、企業城下町として企業名が行政市名となった典型的な例です。

 そんなトヨタ自動車は、1936年にAA型乗用車の少量生産をスタート。1941年に豊田喜一郎氏が社長に就任し、戦時中は陸軍向けのGA型トラックなどの生産を担いました。

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