日本初の“星の城”!? 幕末海防の記憶が残る「松前藩戸切地陣屋跡」をバイクで訪れた 北海道北斗市
北海道北斗市に残る「松前藩戸切地陣屋跡」は、安政2年に松前藩が築いた日本最初の西洋式星形城郭とされています。土塁と空堀に囲まれた四稜郭型の構造、建物跡を示す白いライン、そして各所の解説板をたどると、幕末の北方防備に挑んだ人々の姿が浮かび上がってきました。
砲戦の時代を見据えて築かれた星形陣屋
北海道北斗市(ほくとし)野崎に、「松前藩戸切地陣屋跡(まつまえはんへきりちじんやあと)」があります。広い芝生と木々に囲まれた静かな史跡公園ですが、ここは安政2年(1855年)に松前藩が築いた、日本最初の西洋式星形城郭とされる場所です。
入口に立つ円柱型の案内には、「北斗に瞬く日本初の星の城」と記されています。城跡と言うと天守や石垣を思い浮かべがちですが、戸切地陣屋跡の主役は土塁と空堀です。星形にめぐらされた防御線の内側に、武器蔵、米蔵、足軽長家、文庫、道場、風呂屋などの建物が並んでいました。
この陣屋が築かれた背景には、幕末の海防問題があります。19世紀半ば、日本近海には外国船がたびたび姿を見せるようになり、幕府は蝦夷地(えぞち)や津軽海峡周辺の防備を強化する必要に迫られました。
箱館(函館)港の開港もあり、道南の防衛はそれまで以上に重要な課題となっていきます。そこで松前藩が構築したのが、戸切地陣屋でした。四方に張り出しを持つ星形の構造は、敵を正面だけでなく斜め方向からも攻撃できるようにする考え方に基づくものです。石垣で高く囲う従来型の城とは異なり、銃砲戦を意識した西洋式の防御思想が取り入れられていました。

この陣屋の歴史を知るうえで重要なのが、松前藩第12代藩主の松前崇広(まつまえたかひろ)です。現地の解説でも紹介されており、幕末の国際情勢を見据え、藩政や軍制の近代化に取り組んだ人物でした。
洋式砲術や築城術への関心も高く、陣屋の築造には松前藩士の藤原康茂(ふじわらやすしげ)が深く関わったとされています。
康茂は、佐久間象山(さくましょうざん)のもとで洋学や砲術を学んだ人物として紹介されています。現地の解説を読むと、戸切地陣屋は単に形だけを西洋風にした施設ではなく、当時の新しい軍学や砲戦の考え方を取り入れようとした実践の場だったことが分かります。
木門をくぐって陣屋内へ入ると、まず目に入るのは広々とした芝地です。建物そのものは残っていませんが、地面には建物跡を示す白いラインが引かれ、各所に解説板が置かれています。遺構が立体的に見えるよう整備されているため、歩きながら当時の配置を想像しやすいのが特徴的です。
大砲入跡(たいほういれあと)は、重い大砲を保管していたとされる建物跡です。解説によると、調査で建物の規模が確認され、内部には小石が敷かれていたこともわかっています。陣屋が砲戦を想定した防衛拠点であったことを、具体的に感じられる場所です。
足軽長家跡(あしがるながやあと)は、足軽たちが寝泊まりしていた建物跡で、長大な建物の範囲が白線で示されていて当時の駐屯地としての規模感が伝わってきます。内部には風呂場もあったとされ、単なる戦闘施設ではなく、兵たちが生活する場でもあったことが分かります。
道場跡(どうじょうあと)では、武術の稽古が行われていたと考えられています。鉄砲入跡(てっぽういれあと)は銃器を保管する建物跡、味噌蔵跡(みそぐらあと)は食料を蓄える場所、文庫跡(ぶんこあと)は重要な文書や書物を保管する建物跡です。
こうしてひとつずつ見ていくと、戸切地陣屋が軍事、生活、行政の機能を併せ持った拠点だったことが理解できます。
風呂屋跡(ふろやあと)も印象に残る遺構です。解説によると、足軽や雑役にあたる人々が利用した大風呂だったこと、発掘調査で大鉢や鉄製品の破片が見つかったようです。
緊張感のある軍事施設の中に、人が暮らしていた日常の痕跡が残っているのです。

陣屋を囲む土塁と空堀も見逃せません。芝に覆われた土塁は一見すると穏やかな丘のようですが、近づくと高さと厚みがあり、防御施設としての迫力があります。石垣の城とは異なる、土で築かれた星形の要塞は、幕末の日本が西洋式軍事技術をどのように受け止め、実際の防備に取り入れようとしたのかを伝えています。
しかしこの陣屋は長く機能し続けたわけではありません。明治元年(1868年)に箱館戦争が始まると、旧幕府軍の進撃に伴い、守備隊は建物を焼き払い、陣屋を放棄したとされています。敵に利用されることを避けるためです。
そのため現在の戸切地陣屋跡には建物は残らず、土塁、空堀、建物跡、そして発掘調査で明らかになった情報が、当時の姿を伝えています。
現地を歩いて印象的だったのは、史跡としての分かりやすさです。陣屋全体の配置図を見ると、星形の土塁の内側に、武器や食料を保管する蔵、兵たちの居住施設、訓練のための道場、文書を管理する文庫が整然と並んでいたことが分かります。ひとつひとつの跡地には解説板があり、建物の規模や発掘で見つかったものも紹介されていました。
また、ここは桜の名所としても知られています。春には道道から陣屋跡へ続く桜並木が見どころになります。軍事施設として築かれた場所が、現在は地域の人々に親しまれる史跡公園になっていることも魅力と言えるでしょう。
「日本初の星の城」という言葉には、どこかロマンを感じます。しかし実際に歩いてみると、そこには幕末の不安定な国際情勢、北方防備への危機感、そして新しい軍事技術を取り入れようとした松前藩の試みが刻まれていました。
「松前藩戸切地陣屋跡」は、北海道の城跡巡りの中でも、近世から近代へ向かう転換点を体感できる貴重な史跡でした。























