「エンツォ フェラーリ」は、「348」+「F355」+「360モデナ」だった!?【エンツォ物語:01】
唯一残されたエンツォ フェラーリの開発車両「M3」とは?
インテリアにも独特のディテールが存在する。メーターパネル一式は360モデナのものである一方、センターコンソールにはF355のそれを使用。
F1マチックの操作パネルは、センターコンソールからはやや沈み込んだ位置にフィット。ステアリングにはエアバッグは装備されていない。
ちなみに助手席前方のパネルに書かれたオートグラフは、当時このM3のステアリングを握る機会も多かったであろう、テストドライバーのルカ・バドエルのもの。2001年という添え書きは、このM3がその役を終えた、すなわち彼の手を離れた年であるのだろうか。
M3のサスペンションは、355チャレンジのそれと共通のスペックを持つもので、ブレーキもまた同様である。タイヤはフロントに245/40ZR18、リアに365/30ZR18サイズをチョイス。
後の量産型エンツォと比較すると、リアタイヤがかなりワイドな設定とされているのが興味深いところである。先に触れたリアフェンダーは、このタイヤを収めるために、見た目にもかなりワイドでグラマラスなデザインであるのが分かる。
パワーユニットの開発、あるいはモノコックタブを核とするシャシ一式の開発が進む一方、フェラーリはピニンファリーナとともに、エンツォのスタイリングにも着手する。
F50ではイタリアの伝統的なオープンスタイルともいえるバルケッタを意識した着脱式ルーフが与えられたが、次世代プレミアムモデルはオーソドックスなクーペボディとすることが、両社の間ではすでに確認されていた。
一方新たに採用されることになったのが、スイングトップ式ともいえる独創的なドアの開閉方法だ。ボディサイズは3方向ともF50よりさらに大きくなり、グランドエフェクトカーとしてのコンセプトは、さまざまな可変システムの採用とともに、さらに突き詰められていく。
マラネッロの周辺でM3の走行シーンが頻繁に捕捉されるようになる一方で、さまざまな憶測を呼ぶことになった、次世代プレミアムモデルのスタイリング。
フェラーリは、それは事前のセールスプロモーションを考えても大きな効果があると判断したのだろう。2002年になると、ピニンファリーナによって製作された1/1サイズのデザインモックアップ、「FX」の公開を決断。
その華やかな舞台として選ばれたのは、2002年4月26日から、東京の東京都現代美術館で開催された、『疾走するアート:フェラーリ&マセラティ展』にほかならなかった。
そのフィニッシュは、いくつかのディテールを除けば、ほぼ量産型のエンツォに共通したものである。リアのライセンスプレート上に掲げられた「F140」の文字で、世界のフェラリスタは初めて、この次世代プレミアムモデル、あるいはそれに搭載されるエンジンが、F140と呼称されるものであることを知ったのだった。
M3とFX=F140。それはエンツォ誕生のプロセスにおいて、きわめて重要な役割を果たしたプロトタイプであり、デザインモックアップだった。
ちなみに今回紹介したM3は、2005年にサザビーズがマラネッロで開催したフェラーリ・オークションに出品され、さらにフェラーリ・クラシケによる正式な生産証明を得て、現在は世界的に有名なドイツのフェラーリ・スペシャリスト、モデナ・モータースポーツ社がそれを所有。
新たなオーナーの出現を待っている。エンツォを生み出す原動力ともなった貴重なプロトタイプ。それに世界のコレクターから注がれる視線は、きわめて熱いはずだ。
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