操業開始から40年。もう一つのマツダ車のふるさと、“防府工場“をご紹介します!

マツダは、国内に2つの生産拠点があり、一つは本社のある広島県の本社工場、もう一つは山口県の防府(ほうふ)工場で生産されています。
防府工場で現在生産しているのは、MAZDA2・MAZDA3・MAZDA6・CX-3・CX-30・CX-5の6つの車種。 読者の皆さんの中にも、これらマツダ車のオーナーの方がいらっしゃるかもしれません。
今回は防府工場についてご紹介します。
※本記事はマツダ公式ブログ「ZOOM-ZOOM BLOG」の記事を一部編集して再掲載するものです。

防府工場はグローバルに展開している生産拠点のマザープラント

防府工場は、高品質・高効率なモノづくりへの継続的な取り組みとともに、グローバルに展開している生産拠点のマザープラントとして、常に業界No.1を目指し、培った技術を各拠点に展開する役割を担っています。
ここ防府工場は、1981年の開所から2021年12月でちょうど40周年を迎えました。

地元である防府市と密接なつながりを持ち、操業当初から地域と共に歩み発展してきた工場です。
今回は、防府工場を語る上で欠かせない「地域とのつながり」についてご紹介します。

歴史と文化を育む防府市

写真左下:防府平野と瀬戸内海、 写真右下:防府天満宮

まず防府市(ほうふし)についてご紹介します。

防府市は本州最西端の山口県、中南部に位置します。

一級河川である佐波川の下流に開け、県下最大の平野と瀬戸内海に面した自然豊かな場所です。

また学問の神様「菅原道真公」が祭られている防府天満宮があるなど、歴史と文化に恵まれた街でもあります。

ここに、本社工場に続く国内生産拠点として誕生したのが「マツダ防府工場」です。

1981年に「中関(なかのせき)地区」で変速機を、1982年に「西浦(にしのうら)地区」で車両をそれぞれ生産開始しました。

写真左:中関地区、 写真右:西浦地区

実は、現在工場がある場所は、かつて広大な塩田地帯でした。

なかでも江戸時代中期から約260年にわたり築かれた三田尻塩田は、「赤穂」(兵庫県)に次ぐ国内第2位の製塩場として、1959年に塩田が廃止されるまで重要な役割を果たしました。

現在の様子と写真で比べてみると、塩田跡地に建てられた工場だということがお分かりいただけるかと思います。

西浦地区の正門周辺 (左: 以前の様子、右:現在)

地域と共に成長し歩んできた防府工場

累計生産台数1,000万台達成セレモニー

工場の操業開始に向けて、港やトンネル開通など工場を取り巻く周辺環境にさまざまな整備が行われ、インフラが整っていきました。

そして、1981年に変速機の生産を開始。 車両生産については1982年に第1工場、1992年に第2工場増設と徐々に拡大していきました。

累計生産台数を見てみると、2013年に車両の生産1,000万台、2019年には変速機の生産 4,000万台を達成するなど、着実に成長を果たしてきました

こうして歩んできた歴史の中で、操業開始当初から防府工場が常に大事にしてきたこと。

それは、いかに地域に受け入れられ、共に歩んでいけるかでした。

地域の皆さんと積極的に触れ合う取り組みとしてまず始めたのが、1982年の車両工場操業開始とともにスタートした「マツダ招待サッカー大会」です。

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この続きはマツダ公式ブログ「ZOOM-ZOOM BLOG」
https://blog.mazda.com/archive/20211213_01.htmlをご覧ください。

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画像ギャラリー

  • 写真左下:防府平野と瀬戸内海、 写真右下:防府天満宮
  • 写真左:中関地区、 写真右:西浦地区
  • 西浦地区の正門周辺 (左: 以前の様子、右:現在)
  • 累計生産台数1,000万台達成セレモニー