スバルのAWDはなぜ誕生? 東北電力からの依頼に応えたのがきっかけ
スバルと言えば「4WD(AWD)」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
そんなスバルの4輪駆動システムはどのような経緯で誕生したのでしょうか。
そもそもの始まりは、1960年代終わりから1970年代初めにまで遡ります。
この年、東北電力から送電線保守作業用にスバル1000バンを4WD化することができないかという改造依頼が宮城スバル自動車に持ち込まれました。
それまでの4WDはジープタイプで、主に積雪地や荒れ地での業務連絡用に使われており、それは東北電力も同様の使い方でした。
ただ、車体が大きく重いことで運転しにくいうえに乗り心地もよくありません。
さらに暖房の問題などもあり、雪のない日には誰も使いたがらず、もっと使えるクルマをという組合員から要望も強かったそうです。
また整備性や経済性にも問題を抱えており、夏はバン、冬はジープと使い分けていた関係もあり年間維持費は4億円もかかっていました。
そこで東北電力が考えたのは、前輪駆動の乗用車の後輪も同時に駆動したら、暖房が良く効き、乗り心地が良く、静粛で、軽量で燃費が優れた四輪駆動車が出来て、1台で一年中利用できるのではないかというものでした。
そこで東北電力は宮城スバル自動車に依頼したのです。もともと宮城スバル自動車と東北電力の担当者同士が公私ともに親交があったことから、この話に至ったようです。
そこで、宮城スバル自動車はスバル1000バンをベースに、1100ccのエンジンに換装。
さらに日産ブルーバードのリアサスペンションやデフなどを使って4WDに改造し雪道での走行試験を行いました。
その結果が非常に良かったことからメーカーのスバル(当時の富士重工業)にも相談し、それをきっかけに4WD化への取り組みを開始。商品性に関しての見通しがあったわけではありませんが、未開拓の分野に挑戦しようと1971年にスバル技術本部に専門の4WDチームを発足させたのです。
そうして1971年の第18回東京モーターショーにスバル1300Gエステートバンをベースにした4WDのプロトタイプを発表。
それをベースに12月には東北電力、白馬村、飯山農協、防衛庁などに向けて限定発売し、データを収集したのち、1972年8月にレオーネバンとして国産初の量産乗用AWDとして正式に発売。こうしてスバルのAWDの歴史が始まったのです。
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