モータースポーツ界注目の日本人ドライバー! 勝田貴元選手ってどんな人? 世界で活躍するトップ選手の生い立ちとは?
ラリーを目指したきっかけは「思い切り」だった
ようやくプロドライバーとしての意識が向きはじめた一方、20代になるまでラリーには本気ではなかったようです。
「15、16歳のときにカートの世界選手権に出場しました。そのときに日本では勝てたけど、やっぱり世界に出るともっと速い人がいっぱいいて、勝てない経験もしました。
こういう人たちを相手にして勝ちたいなって、そこから勝ちにこだわる性格が出て、ただプロというだけでなく、世界で活躍するプロになりたいなっていう思いがありました。
そこが(プロへの)原点ですね。21歳のF3までは本当にレース1本でした」
こうして勝田選手はプロ入りを果たし、めきめきと頭角を現していきます。その一方で、今住んでいるフィンランドとは意外な接点もあったといいます。
「実は中学校3年生(15歳)のときにWRCのフィンランドに見に来ているんですよ。
そのときに祖父と古賀さん(モータースポーツジャーナリストの古賀敬介氏)が『貴元をちょっとでもラリーに興味持たせよう』みたいな話があって、ラリーを見てすごいとは思ったんですが、そのときもやっぱりレースをやりたいということを話しました。
結果、こうやってフィンランドに住んでいるので、運命的なものは感じますね」
のちに勝田選手は、18歳でFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)チャンピオンを獲得。
20歳では全日本F3選手権シリーズ2位となり、翌2014年はシリーズ4位のポジションにつくなど、フォーミュラレースで結果を残し続ける勝田選手ですが、徐々にこの先のキャリアについて悩み始めます。
「レースを続けていましたが、2009年にトヨタがF1を撤退してしまったことなど、F1の世界に行ける路線が現実的になくなっていたこともあり、自分は何を目指しているのかなってわからなくなったこともあります」
フォーミュラレースのなかでもトップに君臨するF1は、モータースポーツ界の最高峰ともいわれています。
しかし、2000年代後半ではホンダやトヨタのF1撤退など、日本のフォーミュラ界ではあまり良いニュースが続きませんでした。フォーミュラレースに専念しながらも勝田選手は再び悩みます。
「自分のなかでもやもやしている部分があったなかで、トヨタが本格的にラリーに復帰するというウワサを聞きました。
父も祖父もずっとラリーをやっていますし、なにかチャンスがあるかもと思い、そこからからはちょっとずつラリーに参戦したりして楽しさも知り始めていたので、2015年、トヨタが世界で戦えるラリードライバーの育成をすると知って今までのキャリアをぜんぶ捨てて、転向を決めました。本当にいろんな過程があって決めました」
ラリー一家に生まれるも、これまでほとんどラリーに触れてこなかった勝田選手が悩んだ末に決めたのはラリーの道でした。
「もともと、めっちゃ優柔不断なんですよ。でも勝ちにはめちゃくちゃこだわっていたというか。とにかく勝ちたいっていう性格が根底にあって、そういう積み重ね(の結果がラリー転向への選択)だったかもしれません」