トヨタ「GR」に歴史あり!ブランドは一日にして成らず!? 「TOYOTA GAZOO Racing」の名に秘められたヒストリーとは?
TOYOTA GAZOO Racingといえば、ル・マン24時間耐久レースの連覇やスーパー耐久シリーズでの水素エンジンでの参戦などのレースでの活躍、また電動化の真っ只中ながら「GR」ブランドとして魅力的なスポーツカーを続々と発表したり、いまやクルマ好きにとっては話題に事欠かせないブランドとなっています。しかし、そんな名声も”一日にして成らず”。ここに至るまでは数多くの紆余曲折があったようです。今回はその歴史を紐解いてみます。
「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」の始まりとは
「GRとは?」を紐解くためには、GAZOO Racingの歴史を振り返る必要があります。
そもそもGAZOOの発端は1996年に開発した中古車検索の画像システムで、画像と動物園(ZOO)の造語です。
これを開発したのは当時「業務改善室 室長」だった豊田章男氏です。
当初は専用端末が中古車販売店に設置されていましたが、1997年にインターネット上に会員サイトをオープン。それが「GAZOO.com」です。
トヨタはエンドユーザーとの接点がなく、「お客さんの声を直に聞きたい」という想いから生まれたそうです。
サイトにはさまざまなコンテンツが用意されていましたが、そのひとつが「GAZOO Racing」でした。
かつて、トヨタには「2000GT」、「スポーツ800」、「スープラ」、「セリカ」、「MR2/MR-S」、「レビン/トレノ」などさまざまなスポーツカーがラインナップされていました。
また、セダンにも高性能エンジン搭載の「羊の皮を被った狼」のようなモデルも設定されていました。
しかし、そのラインアップも次第に縮小され、2007年にMR-Sの生産終了でトヨタからスポーツモデルが完全に消滅。
効率や業績、数字だけを追い求めていくと「スポーツカーは不要」という考え方はビジネスとしては正論でしょう。
スポーツカーがラインナップから消えた…しかし、それではダメだと感じていた男たちがトヨタのなかにいた
その頃、トヨタは販売台数では世界No.1になりましたが、その一方でクルマ好きからの評価は最悪で「トヨタはつまらない」、「欲しいクルマがない」とソッポを向かれていたのも事実です。
そんな状況にトヨタ社内で「ちょっと待った」を掛けたチームがいました。
それがモータースポーツを通じて自動車ファンを増やすことを目的に、マスタードライバーの成瀬弘氏とモリゾウ(豊田章男氏)を中心に社内有志メンバーで設立された「GAZOO Racing」でした。
ちなみに発足当初はトヨタの正式なプロジェクトではなく、例えるなら同行会のような組織。
トヨタの名を使うことも許されなかったため、GAZOOの名を使ったといいます。
彼らは2007年にニュル24時間へと挑戦しました。
モータースポーツに関しては素人同然で試行錯誤の参戦で、24時間を何とか走り切った……という満身創痍の挑戦でしたが、レースという極限状態を通じて「人を鍛え」、「クルマを鍛える」ことで、「もっといいクルマ作り」にフィードバックできると……。
その後、2008/2009年のニュル24時間耐久レースに開発途中のレクサス「LFA(当時はLF-Aと呼んでいた)」が参戦。
それはプロモーションでも話題作りでもなく、純粋な開発テストでした。
豊田章男社長は、「走りにこだわるクルマはニュルで鍛え、育てないとダメです。テストコースの中でNVHを見ているだけではダメです。クルマはもちろん、エンジニアの意識改革もしないといけないと思いました」と語り、モータースポーツを開発の現場として活用したのです。
2009年の東京モーターショーで量産モデルを発表。その評価は……言うまでもないでしょう。
ちなみにGAZOO Racingの発足と同じタイミングでトヨタの商品企画部に「BRスポーツグループ」、技術部のなかに「BRスポーツ車両企画室」と呼ばれる期間限定の特別組織が誕生。
その目的はズバリ「今後のスポーツモデルを考える」でした。
そこから生まれたのが、スバルと共同開発によって生まれたFRスポーツ「86」。
そして量産モデルに独自のチューニングを施した「スポーツコンバージョンモデル(G’s/GRMN)」でした。
これらの取り組みは社内を活性化し、それに合わせて規模も拡大。そして2015年にGAZOO RacingからTOYOTA GAZOO Racingへと変更。
これはトヨタの名を使うことが許されなかった同好会のような組織がトヨタの正式部隊へと昇格したことを意味します。
つまり、「小さなトヨタ」が「大きなトヨタ」を変えたのです。
その後、2016年に社内カンパニー制度で「TGRファクトリー」、そして2017年には「GRカンパニー」と、ほかのカンパニーと肩を並べる存在に成長しました。