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新庄剛志BIGBOSSが「ランボルギーニ」の美顔器アンバサダーに! そもそもトニーノ・ランボルギーニとアウトモビリ・ランボルギーニの関係とは?

BIGBOSSがファイティングブルの美顔器アンバサダーに就任

 BIGBOSSこと新庄剛志日本ハムファイターズ監督が、ファイティングブルのクレストを付けた美顔器を使用するWEB CMが公開されて話題を呼んでいる。この美顔器は、トニーノ・ランボルギーニとリズム株式会社が共同開発したもの。

 そこで、クルマ好きのVAGUE読者の皆さんは、そもそもトニーノ・ランボルギーニとは、アウトモビリ・ランボルギーニとどのような関係なのだろうか、と疑問に思ったことだろう。トニーノは、アウトモビリ・ランボルギーニの創始者であるフェルッチオの息子である。

 そのトニーノについて解説しよう。

2022年4月21日の公開された日本ハムファイターズのBIGBOSS・新庄剛志氏が出演するWEB CM
2022年4月21日の公開された日本ハムファイターズのBIGBOSS・新庄剛志氏が出演するWEB CM

 アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ社の創始者であるフェルッチオ・ランボルギーニ氏の経歴は、すでに良く知られているとおりである。イタリアのエミリア州のチェントに程近い、レナッツォという田舎町に生まれ、父アントニオが経営する裕福な農家で育った彼は、幼少期から農業に使用する機械に大きな興味を抱く。そして技術系の大学を目指した彼は、ボローニャの近郊にある工業大学へと進むが、そこで第二次世界大戦が勃発。終戦後再び母国へと戻り小さなチューニングショップを開いたのは、1947年のこととされる。

●トニーノはランボルギーニ創設者の長男だった

 フェルッチオはこの時代、モータースポーツにも参戦しているが、1948年のミッレミリアでのクラッシュで大怪我を負い、それを理由に自動車からトラクターの世界へと転身。1949年ランボルギーニ・トラットリーチ社をチェントに設立し、自社開発によるトラクターの販売を開始したのである。

 フェルッチオと、その妻ルイーザとの間には5人の子供があったが、その中でも我々にとってもっとも身近な存在といえるのは、1947年に誕生した長男のトニーノだろう。ちなみにトニーノの長男にもまたフェルッチオの名が与えられ、オートバイレースで活躍していたが、この事実だけでもトニーノが、いかに父であるフェルッチオを尊敬の対象としていたのかが伺える。

 トニーノは父と同様に、機械には大きな興味を抱く少年だったが、ボローニャ大学での専攻は政治経済学だった。その学位を取得した後、ランボルギーニ・オレオディナミカ社やランボルギーニ・カロール社の社長となり、ランボルギーニ一族のビジネスに参画するようになる。

 多くのビジネスでの責任を負わざるを得ない一方で、トニーノが常に情熱を傾けていたのは、アクセサリーとデザインの分野だった。1981年にはトニーノ・ランボルギーニ・スタイル&アクセサリー社を設立。エンジニアリングとメカニックの分野でのそれまでの経験からインスピレーションを得て、そしてもちろんアウトモビリ・ランボルギーニの作を再解釈することによって、高級アクセサリー専門の新しいブランドを立ち上げることができたのだ。

NextどうしてBIGBOSSがトニーノ・ランボルギーニのアンバサダーに?
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