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昭和の男子が憧れた2座席レーシングカーに注目!! アバルトの本気レーシングカーが5000万円オーバーで落札

かつてアバルトが本気で作った2座席レーシングカーとは?

 アバルトは、1950年代からツーリングカーレースの小排気量部門を席巻。また小排気量GTカテゴリーでも無敵の存在であった。その活躍の場をさらに広げることを期したカルロ・アバルトとアバルト&C.社首脳陣は、当時のスポーツカーレースの最上級カテゴリー、FIA世界スポーツカー選手権へのタイトルの対象ともなる「グループ6スポーツプロトタイプ」への進出を決定。「スポルト・プロトティーポ:Sport Prototipo(=Sports Prototype)」と呼ばれる一連のレーシングスポーツカーの開発を、アルファ ロメオからヘッドハントした伝説的エンジニア、マリオ・コルッチ博士に命じた。

1960年代、1970年代のレーシングカーといえば、屋根のない2座席レーシングカーを思い浮かべる人も多いだろう(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's
1960年代、1970年代のレーシングカーといえば、屋根のない2座席レーシングカーを思い浮かべる人も多いだろう(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's

 その初の成果となったのが、1966年4月に発表された「フィアット・アバルト1000SP」。「SP」とは「Sport Prototipo(=Sports Prototype)」のイニシャルである。

●レースやヒルクライム競技のために開発されたアバルトとは?

 1000SPは、1966年シーズンから1971年シーズンまで夥しい数のレースで、1000cc以下プロトタイプカテゴリーのクラス優勝を獲得。加えて、当時のヨーロッパでは極めて重要なモータースポーツであったヒルクライムでも素晴らしい戦果を残すに至った。

 また1000SPの登場から数か月後には、ホイールベースを60mm延長した車体に同じアバルトのGTマシン「アバルト・シムカ1300GT」用4気筒DOHC1289ccエンジンを搭載した「フィアット・アバルト1300SP」も登場。

 さらに翌1967年5月には「アバルト・シムカ2000GT」用の1946cc直4DOHCエンジンを組み合わせた試作車「2000スポルトスパイダー・トゥボラーレ・プロトティーポ」も初めてお披露目される。

 そして1967年10月には、2リッターDOHC4気筒エンジンを16バルブ化するなどのスープアップによって250psまでチューンするとともに、新たに「アバルト2000スポルト」の正式名称とともにレースデビューを果たした。これがいわゆる「2000SP」で、のちに改良型が登場することから、初期モデルはシリーズ1と呼ばれる。

 ところで、1960年代には最新テクノロジーだったミッドシップのエンジン配置を推進させようとしていたコルッチ技師と、旧来のリアエンジンに執着していたカルロ・アバルトの間には、技術的な意見の相違に端を発する確執があったのは有名なエピソードなのだが、「SE010」の開発コードネームが授けられた一連の「2000スポルト」では、それまでのSP各モデルがミッドシップだったのに対して、アバルトが慣れ親しんだリアエンジンとされていた。これは、SE010がサーキットにおける耐久レースを主な戦場とするのではなく、ヒルクライムを目的としていたからといわれている。

 2000スポルト・シリーズ1のシャシは、もちろんコルッチ博士が得意とした鋼管スペースフレーム。フレーム単体では47kg、車両重量でも570kgという軽量な車体に前後ディスクブレーキ、前後とも独立式のサスペンションに加えて、耐久レース用の100リッター燃料タンクも装着可能とされたものの、多くはヒルクライム競技に使用されたため、小型タンクを備える個体が多勢を占めていたとのこと。

 はたしてアバルト2000スポルトは、FIAヒルクライム選手権の2000cc以下クラスで、しばしば優勝も獲得する戦果を発揮することになったのだ。

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