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『氷の微笑2』でシャロン・ストーンの愛車だった「スパイカーC8」の現在の価格は? メーカーの歴史は?

19世紀まで遡る歴史を持つ「スパイカー」とは

 オランダのスパイカー社が自社の哲学としている言葉に、「Nulla teneci invia est via」というのがある。これは日本語に訳せば、「粘り強くやれば、必ず道は開ける」といった意味を持つオランダ語である。

 スパイカー社は19世紀にヘンドリック・ヤンとヤコブス・スパイカーの兄弟によって、オランダのヒルフェルスムに設立された本社と工場で高品質な馬車の生産と販売を開始。そのスパイカーから、ベンツのエンジンを搭載した小型車が誕生したのは1898年のことであった。一方で伝統の馬車作りも粘り強く継続され、当時のオランダ女王、ウィルヘルミナに豪華絢爛な馬車を寄進。「ゴールデンステートコーチ」と呼ばれるそれは、現在でも当時の美しさのまま、女王の公式な行事に姿を現す、第一級の馬車として知られる。

ライオンオフしたボディカラーがブラックのスパイカー「C8」は、わずか5台のみ(C)2022 Courtesy of RM Sotheby's
ライオンオフしたボディカラーがブラックのスパイカー「C8」は、わずか5台のみ(C)2022 Courtesy of RM Sotheby's

●長い間歴史の闇に消えていたスパイカー

 スパイカーの大きな特徴は、製造技術の高さのみならず、技術革新の速さにも見出すことができる。たとえば1903年に誕生した60psの「グランプリレーサー」は、世界初の直列6気筒エンジンを搭載したマシンであり、さらに4WDの駆動方式を採用したものであった。1907年にはプライベーターの手によって、パリ・北京1万5000kmレースに参戦し、見事に2位完走という結果を残しているのだ。

 だが第一次世界大戦が勃発すると、スパイカーも航空機やそのエンジンの生産に従事するようになる。記録によれば約100機の戦闘機と200基のエンジンが製作されたという。

 そして戦後は再び自動車の生産に回帰、1922年には「C4」で世界平均速度記録を樹立する。だが彼らの栄光の歴史は、1925年に突然途絶えてしまう。スパイカーの名も、プロペラを模したエンブレムも、すべては歴史の中に消え去ってしまったのだ。

 そのスパイカーが復活を遂げたのはミレニアムイヤー、すなわち2000年のことだった。この年イギリスで開催されたバーミンガム・ショーで、新生スパイカーは、あたかも航空機と自動車製造の伝統を見事に表現したかのような「C8スパイダー」を発表。

 その内外装はアルミ構造、航空機型のスタイル、ワイドグリルインテーク、エンジンターンダッシュボード、航空機型のスイッチ類など、スパイカーの原点へのオマージュがふんだんに盛り込まれたデザインになっている。リアミッドに搭載されたエンジンは、当時のアウディ「S8」用の4.2リッターV型8気筒で最高出力は400ps。それにゲトラグ製の6速MTを組み合わせた。

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