1990年代の「ハイパーカー」黎明期のアイコン的存在
第二次世界大戦前に全盛期を迎えたものの、戦後は事実上歴史の歩みを停めていたブガッティにとって、1991年9月にパリのラ・デファンス地区にて、故アラン・ドロンをプレゼンターに迎えて世界初公開した「EB110」は、計り知れないほど重要なモデルだった。

●ハイパーカーの概念を構築した意欲作、EB110GTとは?
このモデルは、開祖エットレ・ブガッティが設立したオリジナルブランドの復活を期したロマーノ・アルティオーリ氏が、1987年に「ブガッティ・アウトモービリ(Bugatti Automobili)SpA」として再出発を図った新生ブガッティによって開発された初のモダンスーパーカー。そして20世紀の自動車テクノロジーの到達点というべき、究極のハイテク・スーパーカーだった。
EB110は、市販車としては世界でももっとも早い時期にカーボンモノコックを採用するとともに、現代では常識と化しているフルタイム4WDシステムも採用。ハイレベルのハンドリングを達成しつつ、全天候下における素晴らしいスタビリティも確保し、それまで世界のハイパースポーツの代表格であったフェラーリ「F40」やポルシェ「959」などを、一気に旧世代のクルマへと追いやってしまった。
そして「ヴェイロン」や「シロン」など、現在のモルスハイムのアトリエから生み出される後継車たちの基礎を築き、ブガッティにフェラーリやランボルギーニなどのライバルメーカーに対する足がかり、あるいは「ハイパーカー」という新たな世界観を構築する足掛かりともなった。
EB110の開発は、会社の再起動と時を同じくする1980年代中盤より、元ランボルギーニの故パオロ・スタンツァーニをはじめとするレジェンド的エンジニアたちによって開始されていた。ところが、設計・開発プロセスが当初の予定よりも大幅に長引いてしまったことから、市販第1号車の顧客へのデリバリーは1992年まで遅れてしまう。
しかし、シザースドアやパースペックス製カバーに覆われたヘッドライト、ノーズの先端中央に置かれたブガッティ伝統の馬蹄型グリルなどがEB110に強烈な個性をもたらし、高度なテクノロジーとともにハイパーカー黎明期のアイコンとしての地位を確立させた。
ブガッティ・アウトモービリ社は、まずは単一グレードとしてEB110を発売したが、直後に追加発表された軽量+ハイパワー版「EB110SS」の登場により、ファーストバージョンは新たに「EB110GT」を名乗ることになる。
両バージョンともに、ブガッティ自社開発の3.5リッターV12に4基のIHI社製ターボチャージャーつきエンジンを搭載。「GT」バージョンは560psを生み出すいっぽう、「SS」バージョンは、さらに610psまでチューンアップが施されていた。
しかし、アルティオーリ時代のブガッティ・アウトモービリ社は1995年をもって経営破綻。時を同じくしてEB110の生産を終了し、総生産台数は139台(ほかに諸説あり)に終わったとのこと。そのうちGTは、ファクトリーカーを含めて84台が生産されたといわれている。
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