トヨタ「2000GT」の第1号車のヒストリーとは
トヨタ「2000GT」は1967年から1970年までわずか351台が生産された日本が誇る高級GTだ。その第1号車であるシャシ・ナンバー「MF10-10001」の個体が、先日アメリカのフロリダ州アメリア・アイランドで開催されたグッディング&カンパニー(以下グッディング)社のアメリア・アイランド・オークションに出品された。

●プロモーションを兼ねたレース参戦
同社によれば、そもそもは鮮やかなソーラーレッドで仕上げられていたボディカラーは、トヨタ・モーターセールスUSA社によるセールスプロモーションが終了すると、SCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)の主催するレースに参加するため、かのキャロル・シェルビーが率いるシェルビー・アメリカン社へと送られ、ここでシェルビーとトヨタによるレース活動がスタートすると同時に、外観もレッドからホワイトへと塗り替えられた。
SCCA主催のレース参戦をトヨタ自動車が望んだのは、すでに2000GTが1965年から1967年にかけて、プリプロダクションモデルによって日本のレースで大きな成功を収めていたからにほかならなかった。
その実力を自動車大国であるアメリカで示すことができれば、トヨタというブランドの知名度は一気に高まるだろう。当時トヨタが考えていたSCCAのCプロダクションモデルのカテゴリーには、ポルシェ、ロータス、トライアンフ、ダットサンなどの強豪がライバルとしてエントリーリストに名を連ねており、その中で勝利を収めることは、なによりの宣伝となることは明白だったのである。
シェルビー・アメリカンをSCCA参戦のパートナーに選んだトヨタは、グッディングによればMF10-10001のほかに、10005、10006の3台を1967年の夏までにシェルビーのもとへ送り届けた。
そしてその年の9月にはリバーサイド・インターナショナル・レースウェイで10001のテストがおこなわれ、ドライバーは元F1ドライバーのロニー・バックナムに託された。
シェルビーとトヨタのエンジニアは、デュアルメガホンエグゾースト、ガーリング製ブレーキキャリパー、コニ製調節式ダンパー。デファレンシャルクーラー、改造型のオイルパン、ハリブランドのマグネシウムホイール、グッドイヤーのレーシングタイヤなどで10001を武装。一方でインテリアはロールバーやレーシングハーネスなどで、豪華なGTの雰囲気は一切消え去っている。
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