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「ディーノ」がなぜ「フェラーリだけどフェラーリじゃない」のか? 3分で分かる最も美しい跳ね馬物語【THE CAR】

米国での拡販に成功したタルガトップモデル「246GTS」とは

「ディーノ246GT」に搭載される2.4リッターエンジンが誕生した1969年、フェラーリ史に残る大事件が起こった。エンツォがフェラーリ株の半数をフィアットに売却したのだ。

 エンツォ、七十歳の決断。

 自身の分身ともいうべき会社の半分をアニエッリに渡すということは、すなわち、エンツォ自身がロードカービジネスという日常から解放されることを意味していた。そして、残り少ない人生の全てを、彼は再びモーターレーシングの世界一筋に捧げようとした。

フロントからリアまで流麗なラインで構成されたスタイルは、史上もっとも美しいクルマと称賛する人も少なくない
フロントからリアまで流麗なラインで構成されたスタイルは、史上もっとも美しいクルマと称賛する人も少なくない

●史上もっとも美しいクルマと称える人も多いディーノ

 原点回帰。この決断が、後のフェラーリブランドに与えた影響は実に大きい。もちろん、60年代までのフェラーリもモータースポーツ界とスポーツカービジネス界における盟主であったが、現代に至るF1を核としたブランドイメージは、70年代以降のモータースポーツ活動によって培われた側面が非常に大きい。この決断があったからこそ、70年代にイタリアン高級ブランドを襲った世界的な不況に際しても、フィアットは迅速にフェラーリを助ける決断をし、エンツォはF1活動に専心することができた。

 もしもあの時、ディーノエンジンを媒体とするフィアットとの連携が成立していなかったら? もし小型車(フィアットが正にその代名詞であろう)の将来を見極めたアルフレードの強い意思がなく、ディーノV6が生まれなかったとしたら?

 いや、そもそもアルフレードが健康に成長し、エンツォの後継者として立派に成長していたとしたならば?

 エンツォはアニエッリに近づき、後々の関係を築くことが、はたしてできたのだろうか……。

 206GTは、わずか150台程度が製造されただけで終わったけれども、生産性の向上した246GTは、1969年から1974年までのあいだに2472台が製造され、販売台数増に大いに貢献した。なかでも、1972年に発表されたタルガトップモデル、「246GTS」の貢献が大きい。ディーノが北米市場デビューを果たしたのは、1971年のこと。最終バージョンのシリーズEからで、GTSはオープンカー天国アメリカでの拡販を狙ったモデルでもあった。

 狙いは当たった。GTSの生産台数は1274台。たった2年で全ディーノのちょうど半分を稼いだ計算になる。

 改めて、246GTSをじっくりと見てみよう。フルレストアされたホワイト×ベージュの美しいGTSである。

 タルガ=アメリカ仕様、というイメージからか、ディーノにおけるGTSの人気は今までなぜかイマイチだったけれども、こうして改めてそのスタイリングを見てみれば、サイドリアウインドウを埋め込んだ独特なデザインが、ディーノのもつふくよかなフェンダーラインと、ルーフ後端の両サイドからわずかにえぐられてテールエンドへ走る緊張感にみちたラインを、いっそう際立たせているのが分かる。

 ベルリネッタより、ひょっとして美しいのではないだろうか?

 特にこの個体は、タルガトップをボディ同色としており、いっそうリアセクションの存在感を高め、エレガントさもひとしおである。

 今からディーノライフを始めるならば、いっそGTSで新たな世界観を創り出してみるというのは、どうだろう。

●DINO 246 GTS
ディーノ246 GTS
・生産年:1971−1974年
・総排気量:2418cc
・トランスミッション:235km/h
・全長×全幅×全高:4240×1700×1140mm
・エンジン:V型6気筒DOHC
・最高出力:195ps/7600rpm
・最大トルク:22.9kgm/5500rpm
・生産台数:3761台(うちGTSは1274台)

●取材協力
ドリームオート
・所在地:栃木県栃木市野中町1135-1
・営業時間:10:00〜18:30
・TEL:0282-24-8620
・定休日:年中無休(年末年始・GW除く)
 http://www.dream-auto.jp/

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