ブランドの着こなしの秘訣はちょっとだけ背伸びすること【ブランドの旅】
売り手の意識を変えた、作り手の言葉たち
長くこの業界にいてヨーロッパに足を運び続けておりますと、たくさんの作り手たちとの出会いがございます。20年以上の月日のなかで、その出会いが、その言葉が、売り手としてのわたくし中村の人生を変え、道を照らしてきてくれたことに気づきます。
●「貴方から買いたい、と思ってもらえる自分になればいい」
―FEDELI(当時)社:ファビオさん―
社会に出てすぐ、父の背中を追ってメンズファッションの世界に入ったものの、実際に自分が着るもの・使うものではないアイテムを扱う事に、正直なところ戸惑いがありました。ネクタイの締め方も知らず、革靴の履き心地も知らぬままメンズブティックに入社したのは自分くらいではないかと。
「私が男性だったら、もっとお客様の目線になって仕事に取り組めるはずなのにと、色々はがゆいことがあります」
10年ほどのキャリアを重ねた頃だったでしょうか。イタリアで上質なニットづくりを手掛けるブランド・FEDELI(フェデリ)のショールームを訪ねた折に、そんな想いを吐露したことがあります。その時、当時同社にいたファビオさんという方がこんな言葉をかけてくれました。
「キョウコ、アパレルの世界で働く男性達だって、生まれた時からネクタイを締めていたわけじゃない。革靴やスーツの着心地だって人によって違う。男性同士なら分かる、という単純なものじゃないんだ。
“自分が男性だったら”と考えるよりも、“どう努力を重ねたらお客様に信頼される自分になれるか”を考えたらどうかな。貴方から買いたい、と思ってもらえる自分になればいいんだよ。それは、不可能な“夢”じゃなく、実現できる“目標”なんだ。全ては君次第だ」
それは、学んでも学んでも追いつけない何かがある気がして焦っていた当時のわたくしの肩から、見えない重荷を取り払ってくれる言葉でした。
「貴方から買いたい」ひいては「貴方だから買いたい」そう思ってもらえる自分になれたら……それはまさに、自分自身を「ブランド」にしていこうと決意するきっかけにもなりました。
●「大言壮語、大いに結構。チャンスは先に掴んでおかなきゃ」
―ZILLI社:シモーネさん―
もっとも付き合いが長い取引先であるフランスの最高級ブランドZILLIには、ユニークな「番頭さん」がいます。彼の名はシモーネ。いつ会っても自信たっぷりで、ちょっと皮肉屋、でも温かい心の持ち主です。
ヨーロッパに通い始めた当初、私は英会話がほとんどできませんでした。
携帯電話もない時代、便利な翻訳アプリなども当然ありません。「納期はいつ頃ですか」「この商品の色違いはありますか」、そんな商談で使う決まり文句を手のひらサイズの小さなメモ帳に書いて、それを読み上げて意思の疎通を図る……そんなレベルだったのです。
そして「正しい英語を話さねば」と考えるあまり言葉に詰まってしまう場面も多くありました。そんな私に「単語で話せばいいじゃないか。伝わればいいんだよ」といってくれたのがシモーネさんです。
「もっと堂々としなよ。君は日本語が話せるし漢字だって書ける。キョウコなんて漢字、一生かかっても私には書けないよ。お互いにできる事、できない事がある。スキルの上では対等だろう?」と。
そんな彼自身は、フランスブランドであるZILLIに就職するときの面接で「君はイタリア人だよね。フランス語は話せるのかい?」と社長のシュメール氏(今は会長)に訊かれ「もちろんです、ムッシュ」と胸を張って答えたといいます。
ところが実は当時のシモーネさんはまだフランス語は「片言」レベルで、それでも「恋人がフランス人だし、なんとかなるだろう」と大見得を切ったのだとか。彼は今や、ZILLI社の屋台骨のような存在になっています。
「もちろん採用が決まってからは猛勉強したよ。大言壮語、大いに結構。大事なのは、その後それに見合う結果が出せるかどうかなんだ。チャンスは先に掴んでおかなきゃね」
ついつい慎重になりすぎて行動に移すのが後手に回りがちな性格の自分にとって、この「先にはったりをきかせてでもチャンスをもぎ取り、結果は後から死ぬ気で出しに行く」というシモーネさんのスタンスには天地がひっくり返る程の衝撃を受けたものです。
「話せる自分になってから動こう」という姿勢は、裏を返せば「話せる自分になるまでは動かない」ということ。それで逃したチャンスがどれだけあったのだろう、と思います。なんと、もったいないことでしょう。
お客様とお話ししていると時折「このネクタイ、とても気に入ったけど自分にはこのブランドはまだ早いかな……」と躊躇しておられる場面に出会う事があります。過去の自分に重なる気がして、そんな時にはシモーネさんのエピソードをお伝えするようになりました。
そして、「ちょっと背伸びをして手に入れた一本が、自分の姿勢を変えて、思わぬスピードでその価値に見合うステージに自分を引き上げてくれる、そんなこともありますよ」と、お話しています。
そうして手にした最初の一本が扉を開く鍵となり、「自分には早いかな」と考えていたブランドを着こなすようになっていく……。そんなお客様のお姿を拝見することが出来るのは、売り手であるわたくしの大きな喜びです。
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