ロッキーが激走した「ジャルパ」が40周年! ベイビーランボ「ウラカン&ガヤルド」の系譜とは
映画『ロッキー4/炎の友情』に登場した「ジャルパ」誕生ストーリー
2021年は自動車史上に冠たる名作、あるいはエンスージアストの記憶に残るクルマたちが、記念すべき節目の年を迎えた1年であった。ランボルギーニが苦境にあえいでいた1981年に誕生した「ジャルパ(Jalpa)」もその1台である。
今回は、サンタアガタ・ボロネーゼのアウトモビリ・ランボルギーニ本社から発信されたジャルパ誕生40周年祝賀プレスリリースをもとに、ランボルギーニ不遇の時代に奮闘した悲運のスーパーカーを振り返ってみよう。
●ウラッコ・ファミリーの最終進化形とは?
今から40年前、1981年3月に開催されたジュネーヴ・ショーにてワールドプレミアに供されたランボルギーニ「ジャルパ(Jalpa)」は、名作「ミウラ」以来となるランボルギーニの伝統にのっとり、闘牛の品種「ジャルパ・カンダキア(Jalpa Kandachia)」が車名の由来とされている。
そしてV型8気筒エンジンをリア・ミドシップに搭載したランボルギーニ最後のベルリネッタ型グラントゥーリズモとしても知られながらも、その実体は一連の「ウラッコ」および「P300シルエット」の最終進化形である。全体的なアーキテクチャは踏襲しつつ、3.5リッターに大型化したエンジンを搭載していた。
タルガトップのオープンルーフを持つアウトラインは、カロッツェリア・ベルトーネにて1980年からスタイルディレクターを務めていたフランス人デザイナー、マルク・デシャン(Marc Deschamps)の手によるもの。
ウラッコ/シルエットと比べると、前後のバンパーが1980年代スタイルにモダナイズされたほか、リア・クォーターパネルに設けられたエアインテークの意匠も変更されていた。
デシャンはマルチェッロ・ガンディーニがベルトーネのチーフスタイリストだった時代からベルトーネに在籍しており、1972年にはシトロエン「GS」をベースとするコンセプトカー「カマルグ(Camargue)」を主導。そしてガンディーニが1979年にベルトーネを去ったのちに彼の後釜に据えられ、1980年秋のトリノ・ショーにて発表されたコンセプトカー、ランボルギーニ「アトン(Athon)」が、チーフスタイリストとしての第一作となった。
天才肌で芸術志向だったガンディーニと比べると、デシャンはエンジニアとの協調性にも長けたタイプのスタイリストだったようで、ジャルパのデザインワークにも当時ランボルギーニのゼネラルマネージャー兼テクニカルディレクターであったジュリオ・アルフィエーリ(Giulio Alfieri)技師の意向が大きく反映していたという。
そんなジャルパのもっとも重要な技術的変更点として挙げるべきは、ウラッコ系としては最終的な進化を遂げた90度V型8気筒エンジンであろう。
チェーン駆動によるバンク当たりDOHC、合計4本のカムシャフトを備えた総アルミニウム合金製で、当初はウラッコP300と「シルエット」に搭載されていたもののスケールアップ版となる。
ボアを拡大することによって排気量を3.5リッター(3485cc)としたこのV8エンジンは、ウェーバー社製42DCNF型ツインチョークキャブレターを4基装着し、圧縮比は9.2:1。最高出力255ps/7000rpmと、シルエットよりもわずか5psのアップにとどまるが、最大トルクは4kgm近くも増強されて、32.0kgm/3500rpmをマーク。最高速度は248km/hに達すると標榜された。
ところで、1981年のジュネーヴ・ショーにてワールドプレミアに供されたジャルパのプロトティーポ(試作車)には、特別な裏話があったという。実はこの時のショーカーは新規製作ではなく、生産車両として製造はされたものの販売に至ることなく工場に戻されたシルエットをベース車両とし、プロトティーポの製作に転用されたというのだ。
こうしてジュネーヴ・ショーに出品されたジャルパのショーモデルは、特殊なブロンズ色であったこと、また特有の外見的な特徴が見られることから、のちの生産バージョンとの判別は容易である。
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