BMWにオリンピック記念カーがあった! 「M1」の始祖となった「BMWターボ」とは【THE CONCEPT】

悲運のスーパーカーといわれたBMW「M1」のデザイン的ルーツとなるのが、1972年に発表されたコンセプトカー「BMWターボ」だ。その後のBMWのデザインの方向性を決めたデザイナー、ポール・ブラックが手がけたBMWターボについて解説する。

ミュンヘン・オリンピックでデビューしたコンセプトカー

 そしてBMWターボのもうひとつの重要な側面が、シャシとボディである。通常この種のワンオフ・コンセプトカーでは、シャシは開発および制作の容易さから、鋼管スペースフレームによって構築される事例が多いのだが、このE25プロジェクトでは鋼板を溶接して形成したフロアセクションに、同じく鋼板を溶接した上部構造を組み合わせるという珍しい手法を採用。サスペンションもトーションバーを使用した専用品が与えられていた。

●その後のBMWのデザインを決定づけたデザイナー

「BMWターボ」をスーパーカーらしく見せる特徴のひとつが、大きく上方に開くドア(ガルウィング)である

 これは、BMW社の先進技術をPRするという目的に適った手法を選んだものと推測されるが、さらにボディデザインの面でも、BMWの先進性が存分に発揮されることになる。デザインワークを担当したのは、1970年からBMWのデザインディレクターに就任していたフランス人スタイリスト、ポール・ブラックである。

 ポール・ブラックは、1960年代のダイムラー・ベンツ社で先行デザインスタジオのディレクターを務め、「タテ目」と称される世代のメルセデス・ベンツのデザインに関与したほか、ロータリーエンジンを搭載したミドシップコンセプトモデル「C111」のスタイリングデザインについても、ブルーノ・サッコとともに関与したとされている。

 彼は、その後自国の鉄道車両製造会社「ブリッソノー・エ・ロッツ」社に一時的に在籍。かの超特急TGVのデザインも主導したといわれている。彼のBMW時代における最初期の作品であるBMWターボには、いわれてみればメルセデス・ベンツC111やTGVと共通した雰囲気が感じられるのが分かるだろう。

 とくにラジエーターグリルと樹脂製バンパーを一体化したコーン状のノーズは、現在ではあらゆるスポーツモデルに採用されるが、当時としては極めて斬新なものであった。これは後に、イタルデザイン・ジウジアーロがデザインワークを担当したM1にも継承されている。これこそが「M1の起源」ともいわれている由縁のひとつといえよう。

 さらに冒頭で述べた「スペクトラル・ダイアモンド・レッド」のカラーについて連想されるのは、2008年のコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステにて初公開されたBMW「M1 Hommage」である。そのカラーもまた、BMWターボを思わせる深紅のメタリックカラーを身にまとっていた。これこそ「M1」にとって、あるいはBMWの歴史においても「ターボ」が重要な役割を果たしていたことを暗示しているかに思われるのだ。

 BMWターボの成功によって、同社デザインディレクターとしての地位を不動のものとしたブラックは、年代順に5/3/6/7シリーズの初代モデルを手掛けることになった。さらに1974年には母国のプジョーに移籍。引退後は自動車画家として名声を得ている。そんな彼が生来持つ芸術センスもまた、BMWターボの神秘性を深めていると思われるのである。

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