激レア車発見!! デ・トマソの野望を背負ったランチア試作車とは?

ランチアのプロトティーポといえば「ストラトス・ゼロ」がとくに有名だが、ほかにも激動の時代に埋もれてしまった試作車があった。デ・トマソも関与していたという「HFコンペティツィオーネ」の数奇な運命を辿る。

ベースはランチア「フルヴィア」だった

 2020年10月26日から31日まで、RMサザビーズ英国本社が再びオンライン限定でおこなった「LONDON」オークションにおいて、長らく世間から忘れ去られていた1台のコンセプトカーが出品され、世界的な話題を呼ぶことになった。

 その名はランチア「HFコンペティツィオーネ」。カロッツェリア「ギア(Ghia)」が1969年に一品製作したプロトティーポ(試作車)であるとともに、ある大きな目的も与えられていたという。

 今回は、この数奇な運命をたどった1台のストーリーを中核として、「LONDON」オークションのレビューをお届けしよう。

●生粋のラリーカーがコンセプトカーに変身

2014年にはフルレストアを受けており、コンディションのよいランチア「HFコンペティツィオーネ」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby’s

 このコンセプトカーのデザインを担当したスタイリストは、ピニンファリーナでフィアット「124スパイダー」などを手掛けたのち、ジョルジェット・ジウジアーロの後任としてカロッツェリア・ギアに迎えられたトム・チャーダである。ギア時代には、デ・トマソとともに「パンテーラ」や「ロンシャン」などの作品を残し、日本国内のスーパーカー通の間でも信奉者の多い人物である。

 ベースモデルとされたのは、ランチア「フルヴィア・ラリー1.6HF」。1965年からフルヴィアに設定されたクーペ版をベースに、ランチアの実質的なワークスチーム「HFスクアドラ・コルセ」とその総帥、チェーザレ・フィオリオが製作させた一連のラリー用エボリューションモデルの最終進化形である。

 このラリー用フルヴィアのファーストモデルである「フルヴィア・クーペHF」は、1966年1月に発売された。

 1.2リッターの挟角V型4気筒エンジンは、標準型クーペから8?増の88psに強化される一方、各開口部のアルミ置き換えや、サイド/リアウインドウの樹脂化、さらに前後バンパーを廃することで、135kgものダイエットに成功。車両重量は825kgという軽量を誇っていた。

 クーペHFは、デビュー早々からヨーロッパ各地のラリー競技で大活躍を見せるが、翌1967年春には1.3リッターに拡大した進化版「ラリー1.3HF」が登場。排気量アップにより101psのパワーを得て、戦闘力をさらに高めた。

 そして1969年に登場した最終進化形「ラリー1.6HF」は、1584ccのV型4気筒エンジンを搭載。115psに達したパワーも相まって、現在のWRC(世界ラリー選手権)の前身にあたる「ヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)」にて、1969年シーズンおよび1973年シーズンに年間タイトルを獲得するなど、1970年前後における世界最強のラリーカーの1台として君臨したのだ。

 この名作をベースとするHFコンペティツィオーネについて、製作社であるギアでは「GTとして完全に適する一方でそのままサーキットに乗り込むことのできる、ふたつの個性を持つクルマ」とアピールしていたという。

 11度20分00秒という特異なバンク角を持つV型4気筒エンジンは、フロントセクションを大幅に改造することでマウント位置を低め、ボンネットはスーパーカー的な低いものとされるとともに、ウェッジシェイプのプロポーションに重要な寄与を果たした。そして当時大流行していたリトラクタブル・ヘッドライトで、その印象はより鮮明なものとされた。

 さらに、オリジナルのフルヴィアHFではリジッド式だったリアアクスルは、ふたつのウィッシュボーンによる後輪独立懸架へと置き換えられるなど、原則的にボディの架装を専業とする、この時代のイタリアのカロッツェリアが手がけたコンセプトカーとしては、かなり大掛かりな1台となっていたのだ。

 しかし、それには深い理由があった。実は、のちにイタリア自動車業界のフィクサーとして君臨したレジェンドが、このプロトティーポには深く関与していたのである。

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