フェルッチオが愛したランボルギーニ「ハラマ」誕生50周年、その逸話の真意とは?

ランボルギーニの創始者であるフェルッチオがもっとも愛したとされる「ハラマ」が、誕生から50周年を迎えた。ハラマは本当にフェルッチオが愛したクルマだったのか、その誕生秘話まで遡って検証する。

隠れた名車「ハラマ」の誕生秘話

 2020年は、自動車界における「アニバーサリーイヤー(記念の年)」の当たり年。自動車史上に冠たる名作たちが、記念すべき節目の年を迎えることになった。

 1970年にデビューしたランボルギーニ「ハラマ」も、その1台である。現役時代、とくにスーパーカーブームに沸いていたわが国のファンの間では、ランボルギーニであれども目立たない存在であったのだが、近年ではその先進的なコンセプトが再評価されるとともに、クラシックカーの国際マーケットでもV12ランボルギーニ全体の価格高騰に伴って、もとより希少車であるハラマの人気も格段に高まっているようだ。

 今回は、われわれVAGUEでもその誕生ストーリーを紐解き、隠れた名作へのオマージュとしたい。

●V12+FRレイアウトの限界に挑戦したパッケージング

ムゼオ・フェルッチオ・ランボルギーニに展示されている「ハラマRS」試作車

 1970年3月のジュネーヴ・ショーにてデビューした「ハラマ400GT」は、ランボルギーニの第1作である「350GT/400GT 2+2」とその進化版にあたる「イスレロ」の後継車である。そして、ランボルギーニのFRグラントゥーリズモとしては、最後発のモデルとなった。

 また、ジャンパオロ・ダラーラのあとを継いでランボルギーニ技術陣のトップの地位に就いた若きエンジニア、パオロ・スタンツァーニが、直後に相次いで発表された「ウラッコ」および「カウンタック」で開花させる、スペース効率の鬼のような理想主義的パッケージングを初めて実現したモデルとしても知られている。

 400GTやイスレロ、あるいは「エスパーダ」などにも搭載されたものと同じ3929ccV型12気筒4カムシャフトエンジンと5速ギアボックスをキャビン内まで深く侵入させるという、なんとも大胆な手法を選択した。

 実に2380mmという400GTよりも170mmも短く、現代の軽自動車にも相当するホイールベース内に、長大なV12エンジンと2+2のシートアレンジを実現してみせたのだ。

 また、この種の少量生産スーパースポーツでは鋼管スペースフレームが常套だった時代にモノコック式ボディを採用しているのも、高度なパッケージングを実現するためだったといわれている。

 もともと400GTの後継車をモノコックでというアイデアは、ジャンパオロ・ダラーラ時代からのものだったとされている。しかし、そのアイデアを1台のクルマとして実現に至らしめたのはスタンツァーニ技師だったようだ。

 そして、いかにも1970年代的に直線基調のモダンなボディは、「ミウラ」で大成功を収めて以来、ランボルギーニのボディデザインを委ねられたカロッツェリア・ベルトーネと、同社でチーフスタイリストを務めていた、マルチェッロ・ガンディーニの手によるものである。

 この時代、すでに名匠としての地位を確立しつつあったガンディーニは、ハラマ独特のパッケージングを生かし、極めてモダンながらアグレッシブになり過ぎないスタイリングを実現することに成功したといえよう。

 しかし、ほぼ同じ時期に同じデザイナーが手掛けたためだろうか、ファストバックのプロポーションからセミ・リトラクタブルのヘッドライトに至るまで「イゾ・リヴォルタ・レーレ(1969年デビュー)」を大幅に短縮したようなスタイリングと評する向きもあるようだ。

 こうして正式リリースされたハラマは、発表当初から先代モデルにあたるイスレロの高性能版「イスレロS」と同じ350psユニットが搭載されるが、さらに1972年には365psまでスープアップを果たした「ハラマS」に発展した。

 この実質的なマイナーチェンジでは、ボンネットにエアスクープが設けられるなどのデバイスが施され、デビュー当初からハラマを苦しめていた熱問題が、これでおおむね解決。エアコンディショナーや3速オートマチックも注文可能となったといわれている。

 ただし、あくまで現役時代の商業的観点から見れば、ハラマというプロダクトが完全な失敗作であったことも否めない事実だろう。1978年にラインナップから消えるまでの生産台数は、わずか327台に留まってしまった。

 とはいえ、その生産台数の少なさが現代のクラシックカー市場においては希少性として評価され、マーケット相場価格の高騰を招く結果となっているのは、何とも皮肉というべきかもしれない。

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