バブル時代のAMGは、なぜエンブレムが真っ黒? コワモテだった理由を探る

現在ではメルセデス・ベンツの高性能モデルであるメルセデスAMG。しかし、創業当時は一介のプライベートチューナーであった。そのAMGがバブル時代に作っていたコンプリートカーは、スリーポインテッドスターをブラックアウトしていたが、その理由はなんだろうか。

もとはただのプライベートチューナーだったAMG

 メルセデス・ベンツのハイパフォーマンスモデルを展開する「AMG」。

 BMWにおける「M」モデルや、アウディの「S」モデルのように、エンジンの大排気量化やチューニングによるパワーアップはもちろん、サスペンションやブレーキ、ボディ剛性面まで、トータルでのカスタマイズを施すことで、ベースモデルに対してより高いレベルで走ることを楽しめるクルマ作りをおこなっている。

 そんなAMGモデルだが、1980年代までは、スリーポインテッドスターやエンブレムがブラックとなっていた。現行モデルは、通常のメルセデス・ベンツと同じシルバーのスリーポインテッドスターであり、エンブレムが奢られている。

 ではなぜ、バブルの時期のAMGはブラックエンブレムを採用していたのだろうか。

バブルの頃に見かけたAMGといえば、グリルを始めとするクロームパーツがすべてブラックアウトされていた(C)2020 Courtesy of RM Sotheby’s

 AMGが創業したのは1967年。創業者は、ダイムラー・ベンツ社でレース用エンジン開発をおこなっていた、ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト氏とエアハルト・メルヒャー氏。両氏の頭文字と、アウフレヒト氏の故郷、シュツットガルト北部にある、グロースアスバッハの頭文字から、AMGという社名になった。

 その後、1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースでの優勝や、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)での活躍、そしてF1に参戦するなど、その名は世界中に轟き、「AMGが手掛けるクルマは速い」というイメージが完全に根付いている。

 しかし、創業時はメルセデスとは特別な関係はなく、スパ24時間レースで優勝したときのマシンであるタテ目のベンツ「300 SEL」をベースとした「300 SEL 6.8 AMG」は、あくまでもプライベート参戦だった。そこには創業両氏が、ダイムラーベンツ社を退職した理由が関わってくる。

 当時のメルセデス・ベンツは、1955年のル・マン24時間レースでの大事故以来、ワークスとしてのレース参戦を取りやめていた。ただし、ワークスとしての活動は休止していたが、プライベート参戦しているユーザーのためのサポートは継続しておこなっており、創業両氏はそれらユーザーのための仕事をおこなっていたのである。

 だが、念願かなってダイムラー・ベンツ社で主にエンジンを担当することができたアウフレヒト氏であったが、ワークス活動を再開しないことに不満を感じていた。そこで、アウフレヒト氏は独立の道を選び、AMGを立ち上げるのである。当初は、彼の兄と同僚のメルヒャー氏の3人のみであった。

 そして手掛けた300 SEL 6.8がスパ24時間で結果を出したことから、多くのユーザーがマシン製作を依頼するようになる。そこからAMGは、エンジンだけではなくサスペンションやブレーキ、ボディワークといった分野にも手を広げていき、1980年代にはコンプリートカー販売も開始するようになった。

Gallery:【画像】アーマーゲーと呼ばれコワモテだったAMGとは(15枚)