映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』劇中車「デロリアン」誕生のヒミツ

大ヒット映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに、タイムマシンとして登場したデロリアン「DMC-12」は、どのような経緯で市販化されたのであろうか。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に負けないほど波乱万丈なデロリアン物語

 世界的な大ヒットを博した映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズにて、タイムマシンとして劇中車として登場したことから、現在では1980年代カルチャーのシンボル的存在とも称されているデロリアン。

 その波乱万丈のストーリーは、カリスマ性と悲運の双方を持ち合わせた、あるビジネスマンの見果てぬ夢から幕を開けた。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の劇中車として登場したデロリアン「DMC-12」は、映画史上もっとも有名なクルマの1台である

 かつてゼネラル・モーターズ(GM)本社にてポンティアック部門担当の副社長にまで上り詰め、「元祖マッスルカー」とも呼ばれている傑作車「ポンティアックGTO」を生み出したことでも知られるジョン・ザッカリー・デロリアンは、自身の理想として描いていたクルマを作るためにGMを辞職する。

 そして1975年10月24日に自身の会社「デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)」を、彼が慣れ親しんできだアメリカの「モータウン」、ミシガン州デトロイトに構えることになった。

 ジョン・Z.デロリアンが創ろうとしたのは、北米ビッグ3が長らく生産してきた、あたかも恐竜のごときアメリカ車たちとは一線を画した本格的GT。したがって、開発についてはデトロイト的な方法論は通用しないと考えるのは、当然のことであった。

 そこでデロリアンは、優秀なエンジニアリング部門を持ち、スポーツカーでは確固たる実績を挙げている英国のロータス社に開発を依頼することとした。

 また生産拠点もデトロイトから飛び出し、当時イギリス政府が産業誘致を積極的におこなっていた北アイルランドの首都、ベルファスト近郊の小村ダンマリーに大規模な工場を、新たに建設することとなった。

 ところが、この新工場の開設決定まで手間取ったことに加えて、ロータスにおける車両の開発も難航。デロリアン初の生産車「DMC-12」のデビューは1981年まで待つことになるのだ。

 かくして、ついにデビューを果たしたDMC-12は、ロータスがお得意としていた鋼板プレスのバックボーンフレームを採用。フロントに不等長ダブルウィッシュボーン、リアにはダイアゴナルトレーリングラジアスアームのサスペンションを組み合わせた。

●エンジニアリングはロータス、デザインはジウジアーロ

 一方、リアエンドに搭載されるパワーユニットは、フランスのプジョーとルノー、そしてスウェーデンのボルボが3社共同開発したPRV(プジョー、ルノー、ボルボの頭文字を取って命名)のV型6気筒SOHCエンジンである。

 2849ccの排気量から、排ガス対策システムのないヨーロッパ仕様で150ps。触媒コンバーターを装備したアメリカ仕様では、130psを発生。ルノー・アルピーヌ「A310」V6用の5速MTないしは3速AT(オプション)と組み合わされていた。

 そしてスーパーカーのごとく低く魅力的なクーペボディは、イタリアの「イタルデザイン」社の社主ジョルジェット・ジウジアーロがデザインワークを手掛けた。

 1970年代前半に、同じジウジアーロがデザインしたロータス・エスプリや、さらにいえばマセラティ「ボーラ/メラク」との相似性も感じさせるが、最大の特徴は巨大なガルウィング式ドアを持つことだろう。

 別体のサッシュを持たない一体式プレスドアは、ジウジアーロがこのクルマで初めて採用した手法だ。

 同時期にイタルデザインといすゞが試作したコンセプトカー「アッソ・ディ・フィオーリ」でも試行されたのち、いすゞ「ピアッツァ」として量産化されている。また、ボディのアウターパネルがすべて無塗装のステンレスとされたことも、DMC-12を大いに印象付けた。

 他方インテリアについても、バックボーンフレームを持つためRR車としてはセンターコンソールが非常に広い意匠で、未来的な雰囲気を醸し出していた。また、メータークラスター以外を低めにセットしたダッシュパネルや、ゴージャスな本革バケットシートが織りなす2+2キャビンは、同時代のロータス・エスプリ、あるいは1980年代のイタリア製グラントゥーリズモのセオリーに準拠するなど、実に魅力的な空間となっていたのである。

Gallery:【画像】『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で一躍有名になったデロリアン「DMC-12」とは?(14枚)