カウンタック派? それともBB派?スーパーカーブームのはじまりはロータス「ヨーロッパ」

いまから40年ほどむかし、日本中の少年たちを熱狂させた「スーパーカーブーム」とは一体何だったのか。スーパーカー大王こと山崎元裕氏が、日本におけるスーパーカーブームについて、3回に分けて解説する。

スーパーカーのスペックで口プロレスするのが、楽しみだった!

 第一次スーパーカーブームの主役は、もちろんフェラーリとランボルギーニ、そしてポルシェとロータスといったところだった。

ランボルギーニ・カウンタックは、いまでもキングオブスーパーカーの1台だ

 フェラーリならば12気筒モデルの「365GT4/BB」に流麗な6気筒の「ディーノ246GT」と、当時最新8気筒の「308GTB」あたりとなる。ランボルギーニなら、何といっても一番人気は「カウンタックLP400」だが、「ミウラ」にも熱狂的なファンは多かった。

 ポルシェなら「930ターボ」か「カレラRS」。ロータス・ヨーロッパは風吹裕矢の愛車だから、これは絶対的なスーパーカー・ショーの主役であり続けた。

 このような陣容の中で常に頂点にあったのは、やはりフェラーリ365GT4/4BBと、ランボルギーニ・カウンタックLP400の直接対決だった。

 どちらの姿カタチがカッコ良いかの議論は終わるところを知らず、ならば最高出力で勝負しようと思えば、フェラーリの380psに対してランボルギーニは375ps。最高速に至っては、フェラーリが302km/h、ランボルギーニは300km/hと、わずか2km/hだけ、カウンタックは365GT4/BBに届かなかった。

 ブームの中ではまだ、このオーバー300km/hの最高速を実際に計測する方法も、またそれを実行しようというプランも生まれなかったから、これらの数字はまさに当時のスーパーカー、その究極的存在の2台にのみ許された究極的な数字にほかならなかった。

 そして1977年の夏が過ぎた頃から、スーパーカーは徐々にその存在感を少年達の中から薄れさせていくことになる。だが世界の自動車メーカー、特にヨーロッパの自動車メーカーでは、その間にもより高性能なモデルを市場へと投じるためのプロジェクトが進められていた。

 1987年、フェラーリが創立40周年を記念してデビューさせた「F40」。そしてそれに前後して誕生したポルシェのハイテク・マシンである「959」。これらに始まる第二次スーパーカー・ブームが始まるのだ。

 その主役は第一次ブームが子供であったのに対して、第二次ブームは大人。生産台数の限られた貴重なスーパーカーをめぐる取引と価格高騰も、このブームでは見られるようになったのが特徴だ。

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