なんと90台も集まった! 本場のアルファ ロメオ「ジュリアGT」ミーティング

アルファ ロメオのなかでも、特に人気のある車種が1963年から製造された「ジュリアGT」だ。このジュリアGTが90台も集まるオーナーズミーティングが、イタリアのグラッツァーノ ヴィスコンティ村で開催されたので、その模様をお届けしよう。

史上最大規模の「ジュリアGT」だけのイベントが開催!

 2019年9月21・22日、イタリア・ピアチェンツァ県、グラッツァーノ ヴィスコンティ村に90台の「ジュリアGT」が集まった。

 会場のグラッツァーノ ヴィスコンティ村は名前から分かるようにヴィスコンティ家の手によって作られた村で、歩いているといたるところでヴィスコンティ家の紋章「サラセン人を呑み込む大蛇(ビショーネ)」に遭遇する。

 このヴィスコンティ家は13から15世紀、ミラノ公国を統治していた由緒ある家系で、アルファ ロメオのロゴはミラノ市の紋章の赤い十字架とヴィスコンティ家の「サラセン人を呑み込む大蛇」の紋章を組み合わせている。

 ヴィスコンティ家に見守られながらのアルファ ロメオのミーティング、これ以上に相応しい場所はないだろう。

1964年にでたバリエーションモデル第一弾、GTC。ボディはカロツェリア・トゥーリングが仕立てた

 1962年に1300ccの「ジュリエッタ」のお姉さん格として登場したのが1600ccの「ジュリア Ti」だった。

 戦前の超高級車メーカーから戦後の「1900」、ジュリエッタシリーズを経て量産車メーカーの立場を最終的に確立したのがジュリアシリーズだ。

 まず、1962年の6月に「ベルリーナ」がデビューし、それからジュリエッタのボディに1600ccのエンジンを搭載し「ジュリアスプリント」、「ジュリアスパイダー」が売り出された。

 ジュリアシリーズになって生産台数が以前より格段に増えた事からも分かるが、新たに作られたアレーゼの近代的な工場での大量生産に適した設計となっていた。

 さて、ジュリアGTに関しては、1963年にアレーゼの工場で発表されたジウジアーロ(当時、ベルトーネのデザイナー)による「ジュリア・スプリントGT」から始まり、「ジュリア・スプリントGTC」、「GTA」、「GTヴェローチェ」、「1300ジュニア」、「1600ジュニア」、「1750 GTV」、「1750/2000 GTAm」、「2000GTV」と、1977年までの14年間に数多くの「顔」を生み出された。

 このミーティングはピアチェンツァのアルフィスタが集まり結成したクラブ「Biscioni Piacenza」が主催(Biscioneとはイタリア語で蛇をいう意味)。

 この日のために、9ヶ月前から念入りに準備を進め、皆が手弁当で運営した。まさにアルフィスタによる愛が込められたアルファ ロメオ・ジュリアGTのイベントだ。GTだけに焦点を当てたミーティングは、世界でも初めてのことだろうと、イベント名に「International」を付けるほど、スタッフの思いは強かった。

 グラッツァーノ ヴィスコンティには約100年前のレンガ造りの建物が立ち並び、祭日はレストランや、ショップを目指してやってくる観光客で賑わっている。

 ミーティングは、まだ人が疎らな土曜日の朝9時に始まった。

 村の外壁を廻って会場に着いて、先ず目に入って来たのが、1列にずらっと並んでいる真っ赤なジュリアGT。樹々の小枝の間から朝の木漏れ日が差し込み、ジュリアの赤が映え、身震いするほどの感動を覚えた。なんて綺麗なんだろう。

 その後、続々とジュリアGTが会場にやって来た。赤、ブルー、山吹色、小豆色、その他と、各色ごとに分けられ整列。

 参加者は、イタリアは勿論のこと、スイス、ドイツ、オーストリア、モンテカルロ、イスラエル、フランス、南アフリカとさまざまだ。

 ドイツのケルンから自走でジュリア・スプリントGTでやって来たhirshiyさんは、ヨーロッパ内のアルファ ロメオのイベントには必ず彼の姿がある、という有名なアルフィスタだ。ウィンドウ・ウォッシャー液の袋が切れ、油圧計の針が下限に張り付き、果てはワイパーまで動かなくな状態での参加だ。

 ローマからやって来たカップルは、ブレーキトラブルでエンジンブレーキとハンドブレーキのみでやって来たとのこと(何と、帰路ローマまでの500kmも恐る恐る運転し、ローマまで無事到着したとそうだ)。

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