2億5000万円の合法ドラッグ! まんまレーシングカーのメルセデス・ベンツ「CLK-GTR」開発秘話

1996年に開催された世界最高峰のスポーツカーレース「FIA-GT選手権」制覇を目論み、わずか128日で誕生したメルセデス・ベンツ「CLK-GTR」は、参戦初年度でいきなり総合優勝を勝ち取った。このCLK-GTRのロードバージョン全生産数25台のうちの1台を紹介しよう。

開発期間わずか128日で完成させた、メルセデス・ベンツの底力

 数多ある自動車メーカーのなかで、モータースポーツへの関わりを長きに渡って継続し、なおかつサーキットにおいて常にトップランナーとして走り続けてきたブランドといえば、それはポルシェ、フェラーリ、アストンマーティンでもなく、メルセデス・ベンツということになる。

 なにしろ、彼らのグランプリ活動は1920年代に始まっているのだ……。

初代CLKをイメージしたフロントマスクやテールランプを採用し、モノコックシャシにカーボンファイバーボディを組み合わせたロードゴーイングレーサーの異名を持つメルセデス・ベンツ CLK-GTR

 しかも、そのカテゴリーは、市販車と密接な関係をもつツーリングカーから、極限のパフォーマンスを求めたスポーツプロトタイプやフォーミュラマシンまで、戦略的ながら多岐に渡っており、ロードカーの世界と同様に、サーキットにおけるスリーポインテッドスターの歴史を振り返るだけで、コンペティションの歴史もまたかいつまんで知ることができるというものだ。

 そして、モータースポーツのなかでは自動車の進化と歩調を併せたいわば必然かつ正統なストーリー以外にも、そのときどきの複雑怪奇な政治や思惑を背景に、様々な異端の物語も生み出されてきた。もちろん、正統も異端も、いずれNo.1を目指した結果であったがゆえ、クルマ好きの心を打つものではあるわけだが……。

 メルセデス・ベンツ「CLK–GTR」もまた、異端の物語の主人公であるといって、差し支えないであろう。モータースポーツシーンにすさまじいインパクトを与えつつも、決してメインストリームとならなかった存在。時代の転換期に、場当たり的な政治決定があったからこそ生まれた、モンスター。

 踞った銀の平たい塊は、異様なまでに近寄り難いオーラを放っている。

 ときは1996年。FIAは翌年から、それまでのITC(国際ツーリングカー選手権)に換えて、BPR-G–GTとして開催されていたGTカテゴリーによるレースを国際格式に上げ、FIA–GT選主権として彼ら自身の手で運用することを決めた。

 BPRといえば、マクラーレン「F1GTR」やフェラーリ「F40GTE」、ジャガー「XJ220」などが思い出される。

 ポルシェがいち早く「911GT1」での参戦を表明すると、メルセデス・ベンツも黙ってはいられない。

 傘下のAMGメルセデスに、市販車イメージを最大限に生かしたGTマシンの製作を急がせた。AMG公認の歴史書によれば、たったの128日間で完成したという。

 当時の開発責任者であったピーター・コンラッド曰く、「文字通り、一寸たりとも休む間なんて、なかったよ」

 突貫工事で開発は進められ、辛くも2台のCLK–GTRがサーキットに到着。スタートフラッグに間に合った。

 シーズン当初こそ、マクラーレンF1(なんとメルセデスはF1–GTRを購入して、エアロダイナミクスの開発用に使っていた)の後塵を拝したが、万全の3台体制となって以降に6勝を上げ、マニュファクチュラーとドライバーのダブルタイトルを獲得する。つまり、CLK–GTRは、シルバーアローの輝く歴史の一頁となったのだ。

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