50年以上前の車とは思えない!? 見た目も中身もスゴい昭和の車3選

1960年代の後半から1970年代初頭にかけて日本ではマイカーの普及が拡大しましたが、当時の日本車はまだ発展途上にありました。そのため、トライ・アンド・エラーを繰り返しつつも、エポックメイキングなクルマも誕生。そこで、見た目も中身もスゴかった昭和のクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

見た目も中身もアグレッシブだった昭和のクルマを振り返る

 日本でマイカーの普及が始まったのは1960年代の中頃からで、国産大衆車が次々に誕生。その後、次第に国産車も多様化し、バラエティ豊かなモデルが発売されるようになりました。

昭和の時代に登場した見た目もメカニズムもアグレッシブなクルマたち
昭和の時代に登場した見た目もメカニズムもアグレッシブなクルマたち

 一方、1960年代から1970年代の国産車はまだ発展途上であり、デザインやメカニズムも試行錯誤の繰り返しでしたが、着実に進化の道を歩んでいました。

 そんななか、今見ても優れたデザインのモデルや、当時としては先進的なメカニズムやエンジンを搭載したエポックメイキングなモデルも誕生しました。

 そこで、見た目も中身も先進的だった昭和のアグレッシブなクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ4代目「クラウン」

アグレッシブなデザインで保守的なユーザーから敬遠されるも再評価された4代目「クラウン」

 マイカーの普及が始まる以前の1955年に、トヨタは初代「クラウン(トヨペットクラウン)」を発売しました。まだ一般庶民にとってマイカーを持つことが「夢」だった時代ながら、クラウンは当初から高級車として開発され、現在まで一貫してコンセプトが受け継がれています。

 その後代を重ね、1971年には4代目が登場。それまでの国産高級車のイメージと大きく異なる斬新なデザインのボディをまとっていました。

 外観は重厚な雰囲気の3代目から一転して、多くの曲面で構成されたボディで、メッキ加飾が常識だったバンパーをあえてボディ同色とするなど個性を主張していました。

 ボディタイプは4ドアセダンのほかに、2ドアハードトップ、ステーションワゴン、ライトバンを設定し、トップグレードにはシリーズ初の2.6リッター直列6気筒エンジンを搭載。

 また、現在はすべてのクルマが搭載する電子制御燃料噴射装置が採用され、電動リクライニングシート、アイドリングストップ機能など、当時の最先端技術が惜しみなく投入されていました。

 ところが、4代目の前衛的なデザインは保守的なユーザーから敬遠されてしまい、販売は極端に低迷して日産「セドリック/グロリア」にシェアを奪われ、後に「クラウン史上最大の失敗」という烙印が押されたほどです。

 その状況を重く見たトヨタは、4代目の発売からわずか3年後の1974年に、直線基調で重厚感のあるデザインに回帰した5代目へとフルモデルチェンジを敢行し、販売台数は回復しました。

 現在、4代目クラウンはその見た目から「クジラクラウン」の愛称で呼ばれ、デザインも再評価されてクラシッククラウンのなかでも高い人気を誇っています。

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●日産「チェリー クーペ」

大衆車ながら後方視界よりもデザインを優先したスタイリングが秀逸な「チェリー クーペ」

 欧州のコンパクトカーは1960年代からFF化が始まり、広い室内の優位性が証明されていました。

 そこで日産は、日本でFF車の本格的な普及が始まる直前の1970年に、同社初となるFF車として「チェリー」を発売しました。

 チェリーはFFのメリットを生かし、小さなボディながらワンクラス上の「ブルーバード」と同等の広さを誇る室内空間を実現。

 発売当初のボディバリエーションは2ドアセダンと4ドアセダンでしたが、1971年にはスポーティなクーペが加わります。

 3ドアハッチバックボディのチェリー クーペは、左右後方視界を無視したリアサイドの造形が斬新で、後に4代目「スカイライン ハードトップ」(ケンメリ)にも同様のデザインが採用されました。

 エンジンはもともとFR用に開発された1.2リッター直列4気筒OHVの「A12型」で、トランスミッションをエンジンの下に配置した「2階建て構造」とされ、横置きに搭載。

 現在のFF車ではエンジンの横にトランスミッションを配置していますが、2階建て構造ならばエンジン長プラスαのスペースさえあれば搭載可能で、さらにドライブシャフトを左右等長にできるメリットがありました。

 一方で、ボンネットを低くできないデメリットもありましたが、A12型はコンパクトなシリンダーヘッドだったことからボンネット高が抑えられました。

 また、スポーティな「X-1」を追加ラインナップし、トップグレードの「クーペ X-1R」には前後にオーバーフェンダーが装着され、エンジンもツインキャブ仕様で最高出力80馬力(グロス)を誇りました。

 ユニークなデザインとメカニズムを採用したチェリーでしたが、当時はまだFF車のノウハウが蓄積しておらず、ドライブフィールやペダルレイアウトに違和感を覚えるユーザーが多かったといいます。

 そこで、1974年に2代目の「チェリー F-II」へフルモデルチェンジした際に、大きく改善されました。

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●マツダ「コスモスポーツ」

未来感あふれる斬新なデザインのボディにロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」

 1957年に、西ドイツのオートバイメーカーであるNSUと技術者ヴァンケルの共同開発によって、ロータリーエンジンが誕生しました。ロータリーエンジンはシンプルな構造によって小型軽量で、かつ高性能とあって「夢の内燃機関」と評され、世界各国の自動車メーカーがNUSと技術提携を結びました。

 そして1961年にはマツダもNSUと技術提携をおこない、独自にロータリーエンジンの開発を開始。その後、1967年に、世界初の量産ロータリーエンジンを搭載した2シータースポーツカーの「コスモスポーツ」が発売されました。

 外観はコンパクトなロータリーエンジンの特徴を生かし、低いボンネットによる精悍で未来的なノッチバッククーペフォルムを実現。

 搭載された491cc×2ローター「10A型」ロータリーエンジンは最高出力110馬力(グロス)を誇り、動力性能は最高速度185km/h、0-400m加速16.3秒を達成するなど、まさにスポーツカーにふさわしいエンジンでした。

 発売翌年の1968年には早くも改良が図られ、最高出力は128馬力(グロス)までアップし、最高速度は200km/h、0-400m加速は15.8秒に向上して、ロータリーエンジンの性能の高さ世に知らしめました。

 その後、コスモスポーツの成功を受け、マツダはすぐにロータリーエンジン車の拡充を開始し、1968年には大衆車である「ファミリア」、1969年には「ルーチェ ロータリークーペ」にロータリーエンジンが搭載されるなど、ロータリーエンジン車のフルラインナップ化を進めました。

※ ※ ※

 最後に紹介したコスモスポーツですが、当時の新車価格は前期型が148万円、後期型が158万円でした。1967年の大卒初任給が2万6000円ほどですから、まさに夢の高級車だったに違いありません。

 しかし、コスモスポーツはスポーツカーとしては異例の、月間30台前後の販売を記録していたといいます。

 単純計算で現在では1500万円くらいに相当するクルマながら、それほどまで人々を惹きつける魅力があったということでしょう。

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