「ストラトス」に「ダットサン240Z」、超絶カッコいいラリーカー3選

スーパーカーブーム時代は、ラリーカーもやはりカッコよかった。「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」にサポートとして全行程に随行したモータージャーナリスト武田公実氏が、現地で見かけた往年のラリーカー3台を紹介する。

ラリー史上もっともカッコいい、ランチア「ストラトス」!

 2018年2月、筆者は日本からエントリーした友人のサポートメンバーとして「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク(Rallye Monte Carlo Histolique)」全行程に随行した。

「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」は、F1「モナコ・グランプリ」とそのクラシック版たる「モナコGPヒストリーク」、そして現行のWRC「ラリー・モンテカルロ」の主催者である「ACM(モナコ王立自動車クラブ)」がオーガナイズする、世界最大規模のクラシックカー・ラリーである。

 その最大の特徴は、世界ラリー選手権(WRC)のオリジナル版「モンテカルロ・ラリー(現ラリー・モンテカルロ)」では、1995年を最後に廃止されてしまった超長距離リエゾン区間、「パルクール・デ・コンサントラシオン」が設定されていることである。

無事に「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」を走りきったクルマたち
無事に「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」を走りきったクルマたち

 それぞれ1000km以上も離れた欧州各都市から、その直後に本気のスペシャルステージを控えたラリーマシンとクルーたちが三々五々モンテカルロに参集する「コンサントラシオン」は、往年のモンテカルロ・ラリーを象徴するものとして知られていた。

 一方、現代版「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」においても、フランスのランスやスペイン・カタルーニャのバルセロナ、ドイツのハンブルグ、さらにはノルウェーのオスロ、スコットランドのグラスゴーなど、2000kmを超えるような遠隔地から出発した総計300台以上にもおよぶクラシック・ラリーカーと、それらに搭乗するドライバー/コドライバーたちが、現行のWRC戦およびフランス国内選手権の中継地にもなっているという南仏内陸部の町、ヴァランスにようやく到着する。

 その後はヴァランスを拠点に3日間かけて、一部は雪にも見舞われた厳しいコースを舞台とした15ステージもの「ZR(厳格な速度指定のあるスペシャルステージ)」を走り抜いたのち、モンテカルロに暫定ゴール。

 さらにその数時間後には、再びナイトステージに臨み、翌朝未明にモンテカルロの最終ゴールに到着。

 通算走行距離は、ランスなどの短めの「コンサントラシオン」を選んでも、あるいはモナコ市内からスタートするルートを選んでも3200km以上に及ぶ、極めて壮大かつ過酷なクラシックカー・ラリーなのだ。

 この壮大さと、何より「モンテカルロ」の名を冠することから、クラシックカーによるラリーイベントとしては世界最高峰と称賛される「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」では、かつて世界のラリー競技で輝かしい戦果を挙げた数々の名車たちに出会うことができるのだが、今回はそんななかでも誰もがカッコ良さを認めるに違いない、1970年代のクラシック・ラリーマシンを3モデル選び、ご紹介させていただくことにしよう。

●ランチアHFストラトス

アリタリアカラーが有名だが、ランチアHFストラトスは数多くのカラーリングをまとってラリーに参戦していた
アリタリアカラーが有名だが、ランチアHFストラトスは数多くのカラーリングをまとってラリーに参戦していた

 われわれ日本のファンにとっても、ラリーマシンの代名詞といえるモデル。そして「ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク」でもギャラリーの人気No.1だったのが、ランチア「HFストラトス」である。

 その起源となったのは、1970年のトリノ・ショーに出品されたベルトーネのデザイン習作「ストラトス・ゼロ」であった。

 このストラトス・ゼロを見て、いち早くラリーマシンとしての将来性を見出したのは、ランチアのワークスチーム「ランチア・スクアドラ・コルセ」総監督のチェーザレ・フィオリオたち。彼らの進言によって、ストラトス・プロジェクトはコンセプトごとランチア本社に買い上げられ、ベルトーネとの2社による共同で開発されることになった。

 ラリー競技だけを目的として再開発されたHFストラトスは、モノコックのセンターセクションにプレス鋼板製のボックス型サブフレームを組み合わせるという特異なシャシ構造を採用。フルモノコックにせず、わざわざサブフレームと組み合わせたのは、ラリー現場でのサービス性を向上させるためとされている。

 一方パワーユニットは、当初プロトタイプ「ゼロ」と同様に、ランチア自製の「フルヴィアH」用1.6リッターV4エンジン。あるいはシトロエン「SM」用マセラティV6を含む複数のエンジンが候補に挙げられたといわれるが、最終的に選ばれたのは65度V型6気筒2418ccの「ディーノ」用ユニットだった。

 当初エンツォ・フェラーリは供給を渋っていたが、ヌッチオ・ベルトーネが自らエンツォを説得。ようやく供給の約束を取り付けたとの逸話が残っている。

 そしてFRPのボディ製作は、もちろんカロッツェリア・ベルトーネが担当。同じマルチェッロ・ガンディーニの手による「ゼロ」に比べると遥かに現実的ながら、よりラリーの現場を見越したデザインへと、抜本的な見直しが図られることになった。

 かくして完成にこぎつけたストラトスは、生来の目的どおりFIAグループ4ホモロゲートを獲得。ランチア・スクアドラ・コルセに託されて、1970年代中盤のWRC選手権で大活躍を見せた。名手サンドロ・ムナーリらがドライブするワークス・ストラトスは、ランチアに1974年から1976年まで、実に3年連続のコンストラクターズ・タイトルをもたらしたのだ。

 ちなみに「モンテカルロ・ラリー」については、1974年はオイルショックでキャンセルとなったが、1975年・1976年にはHFストラトスが連覇を果たしている。

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